オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

深代惇郎

深代惇郎の文章が好きだ。

未だに、彼より好きな作家はいない。

温かな眼差しが、その文章に顕れている。

読書を通して、人は温かく豊かな知性にふれ幸せになることが出来るし、言葉を通して他者を幸せにも出来る。

 

彼は、1973年から1975年にかけて朝日新聞の天声人語を担当していた。

執筆中に白血病で逝去。四十六歳だった。

最近まで天声人語は名文の宝庫と言われつづけ、まさに洛陽の紙価を高めえたのは、ひとえに彼のわずか二年半の天人担当の賜なのだと思っている。

リアルタイムで読んではいない。

ただ、幼少期の朝食どき、両親が頻繁にその日の天声人語を話題にしていたことは、記憶に残っている。

 

長編小説『チボー家の人々』を途中で挫折したのは、高校生だったろうか。以下の彼の文を読んで、また再読したことを覚えている。

 

『手にとると、軽い、純白なわた毛だった。プラタナスの実からはじけた綿だと、教えてくれた人がいた。 それが、いつ降りだしたのか、無数に、吹雪のように、セーヌの川岸を乱れとんでいた。 手のひらにのせ、フッと吹くと、また吹雪の中に帰っていく。その下で、ジェラニウムの花が炎のように、真赤に咲いていた。 パリの夏。ジェラニウムのにおい。そのなかを歩きながら、私は『チボー家の人々』の主人公、ジャックの青春を思い浮かべた。 

「世界名作の旅」より抜粋』

 

 

平和を愛するこころも、こんな文章なら、自然に育まれていく。

 

夕焼けの美しい季節だ。先日、タクシーの中でふと空を見上げると、すばらしい夕焼けだった。丸の内の高層ビルの間に、夕日が沈もうとしていた。車の走るにつれて、見えたり隠れたりするのがくやしい。斜陽に照らされたとき、運転手の顔が一杯ひっかけたように、ほんのりと赤く染まった。

 ・・・・・

夕焼けのことで忘れがたいのは、ドイツの強制収容所生活を体験した心理学者V・フランクルの本「夜と霧」(みすず書房)の一節だ。囚人たちは飢えで死ぬか、ガス室に送られて殺されるという運命を知っていた。だがそうした極限状況の中でも、美しさに感動することを忘れていない ▼ 囚人たちが激しい労働と栄養失調で、収容所の土間に死んだように横たわっている。そのとき、一人の仲間がとび込んできて、きょうの夕焼けのすばらしさをみんなに告げる。これを聞いた囚人たちはよろよろと立ち上がり、外に出る。向こうには「暗く燃え上がる美しい雲」がある ▼ みんなは黙って、ただ空をながめる。息も絶え絶えといった状態にありながら、みんなが感動する。

数分の沈黙のあと、だれかが他の人に「世界って、どうしてこうきれいなんだろう」と語りかけるという光景が描かれている。

【一九七五(昭和五十)年九月十六日 天声人語】 

 

 

正月の朝、日本中の人々のこころに「かなし」を、いにしえの「もののあはれ」を、思いおこさせてくれるジャーナリズムと、それを受け止める国民がいた。この文章を読む度、私はどういうわけか、胸がいっぱいになる。

 

ただ雪が見たくなって米沢にきた。

好天で、大みそかの街は白銀の輝くばかりだった。半メートルほどの屋根の雪を下ろす人たちが、そこ、ここで見られた ▼ 雪下ろしを頼む人を「人足さま」と、いまも呼ぶのだそうだ。「人足さまぁ、一本つけったから、あがってくだい」。日当を払ったうえ、お銚子をつけぬことには、人足さまはなかなか動いてくれない。米沢藩は百二十万石から最後には十五万石にまで減封され、下級武士は畑を作り、日雇いもやった。それがこの呼び名の由来だろう、という ▼ 戦後の家屋について、人足さまの批評はきびしい。「きゃしゃで見ばえばかりだ。ちょっと雪が重くなると、建て付けにガタがくる」。その戦後批評は、雪下ろしのことだけではないのかも知れぬ。元日の未明は米沢の人たちと雪を踏んで、上杉神社に初もうでした。そのころ雪が降り出した ▼ 参道を行きかう人が「おめでとうございます」と祝い合う風景を、何度も目にした。九万人の街とは、まだまだ、人間の心が届き合える大きさなのだろうか。米沢は戦災にあわなかった。失礼な言い方だろうが、焼くほどの街と思われなかったからにちがいない。ここはまた石油パニックも起こらなかった。業者たちが、長年の顔なじみに灯油を売り惜しむことができにくかったのだろう、という ▼ 元日の新聞は申し合わせたように、都会にいや気がさして帰ってくるUターン特集をやっていた。「町で声をかけられても返事をしないように、と寮でいわれました」という娘さん。そう、ここはまだお互いが声をかけ合ってもよい土地なのだ。「都会はカネ取っとこ、住むとこじゃねなぁ」という出かせぎの父ちゃんの言葉もあった ▼ 故郷に帰った人たちを待っていたように、元日の雪は激しくなった。昼になると、太陽はおぼろの満月のように見え、夕刻まで降りしきった。

一九七四(昭和四十九)年一月三日 天声人語

 

自然の匂いや輝き、音、色彩感、ぬくもりも切なさも、すべてが、彼の文章にはあるように感じるのです。

 

しばらく絶版となっていたのですが、朝日文庫が彼のエッセイも含め再版をしだしたようなので、ご紹介させていただきました。 

 

 

<追記>

彼が健筆を振るっていた時期、権力におもねることはなかった。書き出しから国会議員に辞職を迫った天声人語もある。

拝啓 新参院議員糸山英太郎殿。糸山さん、いさぎよく議員をお辞めなさい

 

大きな社会問題や政治問題があるとき、彼ならどんな物言いをするだろうかと良く思う。

いま、「拝啓 総理大臣安倍晋三殿。」で始まる彼の言葉を読みたい。

 

その後の朝日新聞では、加藤周一の「夕陽妄語」も良かった。

あの頃が日本ジャーナリズムのピークだった。

 

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Art Swing MAMIさんの絵 天駆ける

    妖精が集い   

    夢、結ぶ♪  

    秘密の時間。