25年以上、スピリチュアルセッションをしてきたなかで、もっとも「癒し」や「気づき」を感じてもらうのが難しいと感じる方々がいます。
幼少時に、虐待など非常に厳しい家庭環境のなかで育ってきた方々です。
こうした方々は、最初の一ヶ月程度の一定期間はおいでになるのですが、その後、セッションにもセミナーにもお見えにならなくなることも共通しています。
カウンセラーとしての挫折感もあり、また虐待、被虐待などの暴力やハラスメントは、その連鎖がゆえに社会全体の問題でもあるので、カウンセリング活動のなかで個人的にもっとも積極的に勉強、研究、チャネリングを行ってきたテーマでもあります。
関連する本もこれまでたくさんAmazonで購入してきたからでしょうか。
一昨日AmazonのAIから推薦された本をキンドルで読み始めました。
AmazonとGoogleは、もはや私以上に私を知っている。
これが非常におもしろくて、昨晩一気に読み終えてしまいました。
幼児期に大変だった方も、そうでない方にも、幼児期体験がどれほどの大きさで人の形成に関与するかを知るためにも、是非おすすめしたい一冊です。
本のタイトルになっている『消えたい』について、著者は以下のように言います。
『「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている。
「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う』
印象的だった文章をいくつか紹介します。(『 』内引用)
『あなたは、虐待を受けてきたので、社会的な自我は十分には育っていないと思います。小さい頃に親から認めてもらえないと、子どもは自分を認めることができません。自我が育たないのです』
『保育園・幼稚園、小学校に進んでも、感情を他人と共有できないから、普通は人との関係性の中で作られていく「自分はどんな子なのか」という自己像ができあがらない』
『虐待問題は、普通の人の経験から導き出される推測や想像力が通用しない』
だからでしょうか。
『被虐待者のうつ病には、抗うつ薬があまり効かない。』
『内観療法も彼らには効かない。 なぜなら、この治療法は正常な母子関係(愛着関係の成立) を前提としているからである。』
『認知行動療法は、「自我同一性」(社会的存在) が確立されていることを前提にしている治療法』 だからこれも効かない。
そして、幼児期の思考感情パターンとしては、
『「親が自分に優しくないのは、何か理由があるはずだ」、「暴力を振るうのにも訳があるはずだ」 「自分がもっといい子になれば、きっと親は優しくしてくれる」、「ちゃんと言うことを聞けば、暴力はなくなる」 子どもはそう自分に言い聞かせ、期待をつなぎ、今度こそはと思って頑張る』
次第にそれは、
『ただ虐待の恐怖を抑えるためにだけ、そうしないとならなかった。 目的のない義務、こなすだけの義務』
となっていき、
『期待すると怖くなる。いつもがまんしてきた。このがまんがなくなるまで耐えようと生きてきた』
となり、ついには、
『「期待する自分がだらしない、そんな自分は馬鹿だ。」』
『そうして彼らは、ぎりぎり自分の存在と尊厳を保って生きていく』
ということになります。
自我はなくとも彼らの持つ「尊厳」は非常に繊細な部分です。
ここが崩れると、彼らが崩れてしまうからです。だから過剰なまでに、ある部分については防衛的になります。
かといって自我があると思って接しても、なかなか響いてはいかない。
魂に語りかけても、魂とつながる部分は、その人の「自我」を通してですから、それもうまくいかないのです。
セッションをしていて、一番難しいところなのです。