次元の違いをイメージで言うと以下のようになる。
3次元:2次元のものを様々な視点から確認出来る。
たとえば、以下のイラストの女性が持っている紙は2次元。それを3次元にいる女性は表も裏も見ることが出来れば、また水平にして1次元のようにみたり、斜めにして立体的に見たりも出来る。
つまり、ひとつ上の次元にいるものは、下の次元のものを360度自由に観察出来る。
下の次元にいるものは、この場合では、紙の上に眼が在る状態だが、その場合は上の次元、たとえば女性が生活している状態は見ることが出来ない。
単なる「拡がり」以外の認識は不可能となる。女性が自由に動き気廻り、三次元的なものに囲まれそれらを食していることなどは想像外もはなはだしいことだろう。
これは、1次元の単なる点から2次元の紙(面)の状態が想像出来ないのと同様である。点からは、紙のどこに何が描かれているかは想像出来ない。自らが「点」であるとして、それが別の線によって突然上書きされたとしても、その瞬間にしか分からないだろう。
3次元にいる女性ならば、紙の上をどのように線が走って行き、その「点」を上書きしようとしているかが分かる。
そしてその「線」の動きやスピード、どこに向かっているのかも分かるだろう。このイラストの女性が線を描いているならば、なぜその点を上書きしているのか、その意図までもが分かるだろう。
スピリチュアル世界では、「高次元」が良く話題となる。
これについて、わたしは、「自由度」と「観る視点の高さと拡がり」「情報量」「これまでの経緯とこれからのだいたいの予測」という違いでとらえている。
3次元に暮らしながら、意識が高次元に向かえば向かうほど、上記のように3次元の状況をひとつ高い次元からとらえるので、
・なぜそれが生じているのか
・どのように解決していけば良いのか
・どこに自分が向かうべき方向があるのか
・世界はどこに大きく向かおうとしているのか
などが、瞬間瞬間、分かるようになる。
未来は不確定なので、それは意図(計画)によって変わるということだが、瞬間とすぐ先くらいまでは分かるだろうが、それ以上は高い次元にいたとしてもその理解は難しいと考えている。なぜなら、意図は変わるものだから。
ただ、たとえば、11次元くらいの高さなら、4次元から11次元までの8次元分の情報が見渡せるので、様々な精度は上がるだろう。
チャネリング情報も、そのスピリチュアルマスターが本当に高次元の存在であり、正確にそことつながれているならば、多くの「視野」「情報」「拡がり」「自由」そして「ハート」の感覚を体得しながら三次元で生活することが出来るはずだ。
こうした「拡がり感」「自由感」が、愛のひとつの側面であると思う。
たとえ、先ほどの「点」の例のように突然すべてがかき消されたとしても、「愛」や「高次元の感覚」を体得していたという体験は残る。
やむを得なかった状況も、そのかき消された後の行く先もある程度分かるのだから、きっと「許せる」だろう。
これも「愛」のひとつの側面だ。
出来事や自らの内面を観るとき、ひとつ高い視野を獲得して「観よう」とする。
3次元と高次元の境にその橋渡し役として「ハート」はある。
ハートに触れ合うことでしか高次元からの流れは起きない。
勇気もやすらぎも感謝の気持ちも、わたしたちに高次元を教えてくれている。