いろいろなものは、実は、複雑で分かりにくく出来ている。
もちろん単純化した方が受けはいい。
多くのひとは単純化されたものを求めている。
だからつい、単純化したい気持ちになる。
しかし起きている現象も「ひと」という存在も、単純化・類型化することで、大切なものが抜け落ちてしまうように出来ている。
大切なものとは、単純化された言葉ではなかなか表現出来ない、単純な感情や欲望ではなくてもっと内面的なもの、自分でも気づきにくい精神的な深みのようなもの。
だからそれはハート的で魂的なものとなる。
これらを単純化して説明した哲学者は過去ほとんどいないだろう。多くの哲学者は自分の直覚したものをなんとか証明したくて、「探究心」を携えて長い長い道のりを孤独に歩く。
一方、スピリチャアル世界には、逆に単純化信仰者が多くいるように思う。
背景には、
『「目に見えない」ものを感知しているからこそ、現実を単純化して説明出来る。』 という思い込みがあるように思う。
同じように、
『「賢いひと」だからこそ、現実や物事を単純化して説明出来る。』
ということも同じ風景をもとにしている。
わたしたちは、『現実を単純化して説明できるひとは、優れた人』という思い込みを、学校教育のなかで抱くようになってしまった。
だから宗教も自己啓発もネットワークビジネスも、果ては教育ビジネスも出来るだけ単純化して信者、顧客を増やそうとする。
上記の「優れた人」信仰があるゆえ、単純化されたフレーズや考え方は、受けが良いしひとをコントロールしやすい。
だが、わたしたちは単純化して抜け落ちてしまっているところに、目を向ける。
抜け落ちるモノのひとつとして、たとえば「対称性」。
同じものの「表と裏」といってもいい。
一例を挙げるなら、スピリチュアルな世界で有名な「引き寄せの法則」の「表と裏」とはなにか。
「表」は欲望力で引き寄せを実現
「裏」は「表」のエネルギーバランスをとるための「カルマ的な反動エネルギー」であり、「表」を単純化することによって損なわれてしまう「もののあはれ」的ハート的なものや「探究心」。
「表」と「裏」はメビウスの輪のようにいつの間にか反転している。そうArt Swing MAMIさんは言う。まったく同感であり、しかも「表」「裏」はデジタルのように1,0ではなく、グラデーションとなっている。
気づけば「裏」にいる。
あるいは「裏」を歩いていてもいつの間にか「表」にいる。
コントロールしたいひとは、「表」しか見ないし表現しない。「裏」に気づいていないのかもしれない。
だから、あなたは「裏」を観ようとする。「表」によって「損なわれたもの」をも観ようとする。それは「虚」の世界を観ようとするに等しくなる。
すると、人や組織や社会にコントロールされないで済むばかりか、自分にとって大切な何かがみえてくる。
優れた芸術家は「裏」からアプローチしている。