2025-01-01から1年間の記事一覧
チャクラとは、古来から伝わるエネルギーの中枢であり人の身体と精神そして宇宙の大いなるエネルギーを結びつける扉のような存在とされている。サンスクリット語で「車輪」や「輪」を意味し、頭頂部から下へ順に通常は七つの主要なチャクラがある。各チャク…
私たちは当たり前のように「わたし」という言葉を使うが、その「わたし」はどこからどこまでを指すのか。たとえば「この身体はわたしのもの」と思っていても、その身体を構成する細胞や臓器のひとつひとつを「自分」と感じるかというと、その感覚は極めて曖…
現代社会では、常に「いまのお前はダメだ」「もっと成長しなければ」「より優れていなければ」というメッセージが溢れている。 ただでも自分の弱さや欠点をそのまま認めることには心理的抵抗がある。 だから、多少なりとも自分を良く見せたり庇おうとして演…
私たちはふつう、自分の人格や性格を「自分自身の一部」として所有しているかのように捉えがちだ。「私は内向的」「私は怒りっぽい」「私は几帳面で完璧主義」といった語りは、あたかも「私」という器のなかに性格や人格という属性がある程度は固定的なもの…
ディスレクシアと呼ばれる特性をもつ人々は、文字や文章の読み書きには大きな苦労がともなうことが多い一方、イメージを素早く捉える力を備えている。 頭のなかで対象としているものの「完成形」が先にくっきり浮かぶのだ。 そのため、完成形そのものへのこ…
増えるディスレクシアの人々 近代社会の行き詰まりが明白になるにつれ、カウンセリングの現場でも年々増えているのがディスレクシアの人々。 知的能力に問題がないにもかかわらず、文字を判別したり文章をスムーズに読むことが難しいのが特徴だが、彼らはあ…
無価値観を抱えていると、本来なら最も大事にしたいはずの自分の感情や気持ちから次第に切り離されていく。思考すら他者の代弁的なものになっていく。 生きるという行為や仕事に携わることは多くの場合「お前は無能だ」という社会からの圧力との格闘でもある…
一般的なスピリチュアル文脈で語られる「気づき」は、答えや解決策のように語られることもあるが、本来的な「気づき」は単に「新しい有効な情報を得た」というレベルのものではない。 むしろ、自分のなかに以前から存在していた思考や感情の固まりが解け、そ…
般若心経は非常に短いお経でありながら、仏教の核心である「空」の思想を強く示すため、古くから広く読誦(どくじゅ)され尊ばれている。 以前(2011年)の記事でも紹介したが、この経典は否定構文のオンパレードとなっている。 わずか262文字のなかに「無」…
神聖さは、なにか日常生活と乖離した「特別な現象や空間」のことではなく、むしろ私たちがつねに接することが可能な「自然な在り方」にある。 日常のなかに静かに息づいている根源的な尊さや、なにかが溶けて流れていく感覚のことを指しているのではないだろ…
生命と宇宙の進化、個と全体、高次元との関係性を包括的に見渡すと、すべてがひとつながりになりながら絶えず変容を繰り返すホリスティックな世界像が浮かび上がる。 物質世界は、ビッグバン以来の膨張や元素合成の流れによって銀河や恒星が生まれ、惑星や生…
想念とことばは深いつながりがある。 私たちは言語を通じて物事に名前を与え分類し、それによって思考可能な事柄の範囲や構造が規定される。極端に言えば、自分が知らない言葉で表現される概念は思考や想念の対象にしづらい。 言葉によって物事を考える以上…
高次元とこの物質界とのつながりを考察するとき、 「量子 → オーラ → チャクラ → 物質化 →(再び)量子」 という循環を想定している。 これは、エネルギーの最も微細な高次元(量子レベル)から始まり、その影響がオーラやチャクラなどのスピリチュアルな構…
すべてはグラデーション――この言葉には、一見すると対立しそうに見える二つの要素のあいだに、本来は連続的なつながりが存在していることを示唆している。 たとえば、白と黒のあいだには灰色という単一の中間色だけでなく、ほとんど無限に近いほどの濃淡が広…
「分からないこと」は至極当然なことであり素晴らしいこと。 未知が存在するからこそ、私たちは日々学び試行錯誤を重ね新しい視点を獲得していく。 まだよくわからないものに触れたとき、人は怖れや不安だけでなく可能性や期待感を同時に抱くものだ。 分から…
鏡開きには 「お正月に神様や仏様へお供えした鏡餅を下げて【割り】みんなで食べる行事」 という一般的な意味がある。 鏡開きでは「切る」のではなく「割る」と表現することも大切にされ、そこに「武家社会では刃物を使わない」や「縁起を担ぐ」という意味も…