似ている言葉だけれど確かに違う。
「好き勝手」は心の思うままに行動すること、「自分勝手」は自分が利するためだけに行動することだと私は思っています。
そう思ったきっかけはカズさんです。
彼はセッション中に「私は好き勝手に生きている」と言います。
その言葉を他の人から聞いたのであれば我儘だと思ったかもしれませんが、カズさんがそうだとは思えませんでした。その一方で、好き勝手に生きているという言葉を否定する気にもならなかったのです。
調べみると「好き勝手」というのは好きなようにすることだそうです。悪い意味で使われることもある言葉ですが、それは言葉を発する人や使われる場面次第でしょう。
自分が利するためだけの行動も好き勝手ですが、自分が善いと思うままに行動することも好き勝手です。
カズさんの好き勝手は後者だからこそ嫌なエネルギーを感じなかったのでしょう。
対して「自分勝手」というのは自分の都合や欲求だけを優先させる態度のことです。
そうする上で他者に迷惑をかけたり傷つけたりすることを厭いません。
こうした態度は我儘と言えますね。
意図して自分勝手に生きる人は少数であると思いますが、そのようなつもりがないまま自分勝手な振る舞いをしている人は少なくはないでしょう。
周囲の人々への影響を考えていない行動ももちろん自分勝手に含まれますが、自分さえ我慢すればいいと思っての行動も自分勝手に含まれるでしょう。
なぜなら、我慢して行動したこと、もしくは我慢して行動しなかったことはきっと宇宙のためにならないからです。
波風を立てたくないという自分の欲求を優先して宇宙のためにならないことを選んできました。
これは「自分勝手」ですよね。
こうして考えると、私のこれまでの生き方は自分勝手な行動ばかりでした。
人が離れていくことを怖れ、変わることを避けてきました。
自分の身の回りの非常に狭い世界しか見えていませんでした。
きっと、身近なところに宇宙のために善いと思うまま好き勝手に行動する人がいなかったからでしょう。
今は違います。
自身と目の前の相手だけでなく宇宙のためも意識するようになりました。
善い意図をもった行動を天は見ていてくれる。なにより自分の魂を含めた自分自身が観ている。
善くない縁が切れることは次に善い縁と結ばれる準備である。
カズさんと出会い、セッションを重ねるうちにそう思えるようになりました。
「自分勝手」と「好き勝手」は違うものです。
自分のためだけの行動か、それとも宇宙のための行動か。
より善く生きるためにも自分のなかに『善』の基準を強く持たなくてはと、心に決めました。
その基準は、ただ自分の損得や感情に従うのではなく、他者や世界への全体観に基づいて、宇宙全体にどのような影響を与えるかを考慮したものであるべきなのでしょう。
そうして初めて、自分に正直にかつ周りに善き影響を与えながら私自身も真に『好き勝手』に生きることができるのだと、そう考え始めています。