ーー ネタバレあり ーー
星川依里 清高の息子 主人公
私は依里が好きだ。
依里は母親が好きだ。
ありのままの依里を受け入れてくれ、やさしく愛情深かった。しかし父親は強い条件づけのもと依里を虐待し、妻にも暴力をふるっていた。そして、母親は突然、出ていく。
湊の母が自宅を訪ねてきたきた時の依里は、最初、嬉しそうにしている。母の面影をみているからだ。しかし鏡文字を指摘されると、とたんに不機嫌になる。父親と同じ部分を早織に観たのだ。
LGBTかもと思わせるような繊細な他にはない魅力を、男女問わずに放っている。だからクラスの女子からの受けもいい。それが一部男子生徒には気に入らない。暴力が嫌いなこともあるが、優しくて反撃をしてこないので、男子生徒は調子に乗っていじめる。
誰かなんとかしてくれ...
考察2で詳しくふれたように、鏡文字も含めディスレクシアだろう。直観や美的感覚、創造性にすぐれている。手先も器用だ。
自分の味方や好意を持ってくれるひとはすばやく察知し、好きな相手に気をひかせる(マンホールのなかへの話しかけ)のもうまい。ささやかな嘘(コーラ)でも相手の気を引き、話題には事欠かない。話を継いでいくのが上手で、煙に巻くのも上手。わざと神秘的な自分を演出もする。それが、観客をビル火災は依里の仕業とミスリードする。
母親がいなくなって以来、はじめて自分を支えてくれる湊。
組体操でも、湊に支えられることのうれしい気持ちを隠すことはできない。
自然と笑みがこぼれている。
大人の男はみな「男らしくしろ」と言うものだと思っていて、多くを期待しない。
父親からLGBTを病気と言われ、病気が治ったら大好きなお母さんが帰ってくると嘘をいわれても、それを信じたいので、病気を治すためという父親の厳しい虐待に耐えている。
我慢強い。
湊が心配してくれていることにも、気づいている。いじめられっ子の多くがそうであるように、視野が広い。湊を迎えにきた母親をトンネルで見たら、静かに帰るなど判断力もある。
どんなに辛い思いをしても、大きく自分を見失うことなく、誰の迷惑にもならない形で自分なりの癒しの方法を考える。
また地水風火や植物を愛していて、それらによって癒やされてもいる。宿題「将来」の作文は、植物の「品種改良」の話を書いていることが分かる。頭も良い。
考察2で触れた通り、美的感覚はLGBTであろう父親も優れているため、家のなかは美しい調度品などがバランス良く置かれている。とはいえ、母親は突然出ていったことから、炊事は父も依里もできない。
日々の食事はコンビニ食やカップ麺、食パンとピーナツバターやジャムがほとんど。皿が要らないからだ。
冷蔵庫にはおそらく食べ残ししかなく、突然の来客(早織)でも水を出すしかない。早織が鏡文字指摘で、依里の機嫌を損ねたこともあるのだろう。それに早織は、母親とは似ても似つかないことに気づいたから、早く帰って欲しくてでもある。
食器やコップは父親が暴れるなかで、ほとんど割れてしまっている。それらはかつて母親が購入したものだからだ。インテリアが壊れていないのは、父自身の購入で彼が大切にしているものだから。
部屋の高い位置に洗濯物が干していなかったことから、洗濯は依里がしている。
虐待の傷が見えないように、長袖長ズボンを着るよう強要され、オーバーオールを着ることが多い。彼のオーバーオールはとても似合っている。もともと作業着から来ているので頑丈だし、洗濯も楽だ。着る者の、中性的な側面を出す役割も担っている。
虐待による肉体的痛みや辛さと、母親のいない寂しさはどうしようもなく、ビッククランチによる宇宙規模での死と再生に、夢を膨らましている。
ところで、私が引き取って育てようか?
否、その必要はない。
依里と湊では「生まれ変わり」についての捉え方に、違いがある。
依里は「生まれ変わり」「ビッククランチ」のためには、一度、死を迎える必要があると思い込んでいる。
一方、階段から落ち「内的な死」を迎え「再生」した湊は、その必要はなく「生きながらに生まれ変われる」と信じている。
だから、ふたりが生きながらに再生するためには、湊が主導権を握らなければならない。
よって、再生に向けての準備は湊が先に整う。
そして、依里を救い出しにいく。
前回書いたように、依里の傷が完全に癒えたのは、風呂場での湊による出産あってのことだ。
湊は、依里を完全に支えることが出来る「自立した人間」となった。
「こうだったらいいなって思ってるやつ」になれた。
台風の朝、依里はあたらしい生命を、湊は自立を果たし、ビッククランチに向けて秘密基地に走る。
列車のなかで、「出発の合図」をするのだ。
ふたりは自分たち自身の、「死」を経ない「生まれ変わり」「再生」はすでに終えている。
では、一体なにをするために、ふたりは秘密基地に走ったのか。
ここで、わたしたちは、この物語の「もう一つの主題」を知ることになる。
再生を遂げたものたちが、
善意と良心のもと、
この宇宙の再生のために動く。
このためには、列車に行き「出発の合図」をすることが必要となるから、ふたりは懸命に走る。
台風が激しくなり列車を雨風が激しく打つ。
山のどこかでの土砂崩れの音が、列車内で聴こえる。
その音は、あたかも羊水のなかにいる胎児が聴いているかのような、低い反響音を伴う音だ。
ふたりはそれを「出発」のタイミングがきたととらえ、列車の先頭にいく。
「出発の合図」をうたう。
チリンチリン。チリンチリン。
その合図とともに、土砂崩れが生じ列車は埋まる。
埋まった列車によって、山の中腹はあたかも妊婦のように、大きく膨らんでいることが、保利たちの視線によって分かる。
泥だらけのふたりは、列車から出て排水溝(産道)を這い出し、二度目の「再生」を遂げる。
依里「生まれかわったのかな」
湊「ないよ。もとのままだよ」
依里「そっか。良かった」
あれだけ宇宙の死であるビッククランチに憧れていた依里も、ありのままの世界をそのまま受容することが出来た。
前回触れたように、列車は、宇宙を模した多くの惑星と、恐竜からの生命進化を内包している。
つまり、「ビッグバンの時から脈々と進化してきた生命と宇宙」を列車は象徴し、いまや、宇宙全体そのものとなっている。
1)宇宙全体の浄化 台風は列車を直撃する。
2)宇宙全体の埋葬 土砂崩れによって列車全体が「土」に埋まる。
3)宇宙全体の「気づき」
湊の自宅前で、保利の善意と良心から「天」に向けて放たれた言葉。
「間違ってないよ。なんにもおかしくないんだよ」
保利の言葉は、「出発の合図」とともに天を通して、この宇宙全体に「自己受容」の気づきの連鎖を引き起こしていく。
「覚悟」をした校長に指揮される、開かれた「気づき」のハーモニーも、時空を超え宇宙全体に拡がっていく。
自然のなかを走っているふたりに、ふいに保利の言葉が、届く。
「間違ってないよ。なんにもおかしくないんだよ」
いま、宇宙全体までもが、ありのままのふたりを受容していることを知る。
それは、彼らの歓びの叫びに昇華される。
4)宇宙全体の「再生」
湊を探しにきた保利と早織が、土砂に埋まった列車のなかを覗き込むために、必死に手で窓を拭いている。
列車内からの視点では、「星々のきらめき」として映る。
それは、これまでの宇宙がビッククランチを経た後、新たな星々の誕生を迎えている瞬間だった。
この瞬間、
宇宙は再生する。
ふたりは、いま、走りながら、
この世界が、新しく生まれ変わったことを知る。
その大きな歓びから、
ふたりの叫び声は一層大きくなり、
この新しい世界を、どこまでも走り抜けていく。
映画『怪物』考察
おわり
この素晴らしい脚本と映像に出会えたことに、こころからの感謝を込めて。沢渡和