ーー ネタバレあり ーー
依里の父親:星川清高。主人公「依里」の父。
何かから逃げるかのようにお酒を飲みつづけ、しらふでいる時間を限りなく少なくしたいと思っている。
担任の保利が自宅を訪問した際も、自宅の庭の草木に乱暴に水を遣りながら「大学どこ、学校の先生って給料やすいらしいね」という。
いまどき、学歴や給与を、出会って最初に聞く人間はいない。
彼は、自分自身の「条件づけ」に成功したのだと信じているひとだ。他者をもその視点で観ることで、一層、自らの条件づけの力を強めようとしている。息子である依里にも、厳しく躾ければ「条件づけ」は成功するはずだと、強く信じている。
しかし、それでは破綻しかない。だから妻には逃げられている。
酒は彼にとっては「自己抑圧」と「条件づけ」を維持するためのものだ。男らしさや社会的成功などの「条件づけ」を小さい頃より自らに課してきた。その実、庭の草木を枯らすことなく、愛してもいるが、人に悟られたくないため、乱暴に水遣りをする。
上記シーンの演技から分かったことだが、彼自身LGBTなのだ。だから、それを抑圧するため酒に逃げ、人前ではわざと男らしく乱暴にふるまう。
LGBTを表す「豚の脳」も、映画のキーワードだが、この言葉自体にも違和感があった。あまりに「豚」が唐突であり、差別的に用いられ、発想も含め古めかしい表現だ。おそらくこの父親は、その親(依里の祖父)から世代を継いで、「社会的な成功」に加えて「男らしく」との厳しい条件づけと暴力を受けてきた。すぐに学歴や給与にこだわるのも、一つ二つ上の世代の発想だ。
そして自身のLGBT的側面を、彼は封印した。
自分は自分をなんとか騙したのだから、依里にも出来るはずだ、との願いにも似た義務感がある。依里を見ていると、彼があまりに、「ありのまま」すぎて怒りが湧き、同時に抑圧して生きている自分を正当化したくもなる。
「条件づけ」している彼から見ると、依里は「怪物」に見えてしまうのだ。
そして依里に暴力をふるう。LGBTである依里を「豚の脳」と言って、嘲り殴り火で炙る。
すべては彼自身がありのままに生きていないからだ。
「自己受容」が出来ていないからこそ起きる、悲劇である。そして、この世界にあまねく広がっている悲劇でもある。
彼が幼少期の数十年前、LGBTへの風当たりは、今から比べると驚くほど強いものがあった。彼は、自分自身のありのままのLGBT的側面を封印し、社会的成功を目指した。
自分で自分を認めないのだから、他者から認めてもらわなくてはならない。
そしてなんとか、成功を手に入れた。
しかし、限界を迎え崩壊は始まっている。
本来的に植物は好きだし、ふとしたときに女性らしい振る舞いも出てしまう。家のインテリアもセンス良く美しく配置されていまる。
中村獅童の見事な演技は、観るものに怖れと悲しみをもたらす。
草花好きや女性らしい振る舞いは、依里に受け継がれている。
夜、湊が依里の家を訪問し、依里と父親が湊と玄関先で出会うシーンは印象的だ。
この父親は、湊を一瞬、あたかも異性を評価するかのような性的眼差しで観る。
湊の親も依里の親も片親で、ともに条件づけを大切に生きている。
依里は鏡文字を書いてしまったり、本の朗読がうまく出来なかったりで、おそらくディスクレシアだ。
ディスレクシアとは文字の認識が出来なかったり、遅かったりする学習障害のひとつ。ディスクレシア人口は全体の5-20%程度いるとされその割合は多い。右脳と左脳を結ぶ脳梁が、通常より太いことで知られる。それが文字認識や音声を伴う認識に困難をもたらす。
同じその脳の構造が、直感力や創造性、美的感覚や物事の探求に優れるものをもたらすとされる。
そのような依里は、条件づけからもっとも遠いところにいるタイプのひと、と捉えても良いだろう。だから、湊は条件づけを自らにすることを試みるにもかかわらず、依里は、こんな自分は仕方がないと受け止めている。
依里が考え出したであろう「かいぶつだーれだ」のゲームは、対話と探求を通して、答えに辿り着こうとするゲームだ。対話をしないで決めつけてしまう「条件づけ」とは、対極に位置するものとしてこのゲームは登場する。
対話と探求。
ディスレクシアのひとが得意とすることであり、様々なシステムが限界を迎えている今のわたしたちにとって、大切なことでもある。
このゲームをとおして、彼らは自分自身を取り戻していく。生きる愉しさを取り戻していく。特に湊は、自らに課していた「条件づけ」が徐々に解けて、ありのままを観察するようになる。
列車のなかを、ありあわせのもので宇宙的に美しく装飾しているところも、美的感覚に優れる依里らしい。
それぞれの3つの章のどこかで、湖が映し出されている。
山に囲まれた湖は「潜在意識」の象徴。
湖に光があたっていたり、波うっていたりで、潜在意識に自然が否応なく働きかけてくる。顕在意識でいくら条件づけしようとも、潜在意識の動きを騙すことは出来ない。いつか必ず浮上する。
地水風火などの自然の働きによって。
台風の日、彼は風に吹き飛ばされ道に倒れこむ。コンビニ袋は足にからまり、中に入っていた酒は路上に散らばる。
ひどい雨風に打たれながら、起き上がろうとするが、起き上がれない。
もう立ち上がることが出来ない。
ありのままの自分を封印して生きていくことは崩壊し、これからどうするかを迫られる。
崩壊した後の父親のストーリーも、我々に委ねられている。
良心と善意に基づくならば、あなたはどのような物語を紡いでいくのだろう。
つづく。