ーー ネタバレあり ーー
麦野湊 (写真は公式HPより抜粋)
二章
クラスで依里がいじめられているのを見て、自分のなかに沸き起こる気持ちの処理が追いつかず、また思うがままに動けない自分も嫌になり、教室で暴れる。そこを保利先生に止められ、偶発的に鼻血が出る。
三章では、その帰り道で依里に声をかけ仲良くなり、徐々に、自分のなかで依里への想いははっきりしたものになっていく。このとき、依里が「いじめ」からか裸足だったので、湊は自分の「靴」を一足分け与える。
靴は「支え」の象徴で、このとき、湊が依里を「支える」ことを決めたことが分かる。ふたりで一足ずつの靴を分け合っての、片足ケンケンは、なんとも楽しそうだ。
コーラの話も。
誰もが子どものときに、片足だけの靴でケンケン遊びをしたことがあるので、観るものを小学生時代に誘う効果がある。「音楽準備室」でのベビースターラーメンも同様で、40代以上の誰もが、小学生時代に頻繁に食べただろう。手がでる値段だったし。こうした瞬間、観る者の心の一部が、小学生時代にずっと飛んでいられる。
組体操は、もうひとつ若い世代を小学生時代に誘う。脚本も是枝監督も、うまい。
だからこそ、ラストの自然のなかでの、二人の内から湧き上がる叫びに、わたしたちは力強く同化し、完全に共鳴が出来る。
組体操の練習でも、湊が下でその上の依里を支える。だが、まだ条件づけ下で自己受容の出来ていない湊は、十分に依里を「支える」ことが出来ないため、組体はすぐに崩れる。
崩れた湊に対して、保利先生が「男だろう~」と柔らかく楽しげにいい、湊は小さく傷つく。依里は、湊の「支え」があることだけで、笑みがこぼれている。彼の人生で湊は、母なき後、はじめての「支え」だった。
三章
依里が好きなことを、クラスの皆に知られたくない。美術の時間にラブラブと囃し立てられたので、そうではない証拠として、湊は依里と取っ組み合いの喧嘩をはじめる。小学生のとき、好きな子に最初いじわるをするのは、人類のテンプレートだ。
依里は楽しげに喧嘩をする。
時系列的には、前日、ふたりは列車(秘密基地)のなかで、ふいに抱き合っている。喧嘩の翌日は、CTスキャンを受ける。この時期、もはや後戻りが出来ないことは、湊が一番よく知っていて、自分のこころを持て余しているなかでの喧嘩だった。同時に、自分は豚の脳かもと心配もピークになっている。
神社の階段を登りながら、あるいは公園で二人で遊びながら「ビッククランチ」について語り合う。
公園の遊具の形状は、ゲージ/檻として取り囲み、彼らを閉じ込めている。対比的にゲージの外側に拡がる景色は、諏訪湖の美しい雄大な景色となっている。
ふたりとも「自由」になりたいが、それが叶わない様を、遊具は表していて、彼らは檻のなかから、外に憧れの視線を向けることしか出来ない。
思い込み、LGBT少数派、親の虐待や過干渉、いじめ、条件づけ、自らのありのままの抑圧と他者からのコントロールなどが、彼らのゲージ/檻として、自由を阻む。
だから、ビッククランチに憧れている話は、ここでしなければならない。そして公園を出てから、ふたりは、秘密基地でビッククランチの準備を始める。
ふたりは、どのようにゲージを飛び出し、本質的な意味で自由になるのか。
それが考察3で記した本作品の主題である。
誰にも教えていない秘密の場所を、依里から教えてもらう。そこは廃棄された列車の車両だった。
ふたりは、ここをゲージではない「秘密基地」として、食べ物や装飾や宿題、遊び道具など、ふたりにとって大切なものを持ち込む。ふたりの「世界」が始まる。
またこれらは、ビッククランチへの準備でもあった。
「かいぶつだーれだ」をしながら、かけがえのない素晴らしいときを過ごし、互いの愛情を育んでいく。
列車のなかを「宇宙」と見立てた、美しくすべてが手作りの装飾も素晴らしい。
依里は宇宙が好きで、湊は恐竜が好きだ。土星など、多くの惑星が天井から吊るされ、また湊は恐竜の手作りシールを貼る。
音楽室での校長との出来事のあと、湊は「覚悟」を持って依里に告白をしにいく。
しかし....
父親も出てきて、嬉しそうに「教えてあげたら」と依里を促す。
「僕ね、病気なおった」...「普通になったんだよ」
「もともと普通だよ」湊は確信を持って言う。
父親は「いままで遊んでくれてありがとね」と、なかば強引に会話を終わらせ、扉を閉める。
少しして、依里が再び扉を開けて「ごめん、嘘」と思わず言う。彼自身の「内的真実の吐露」をする。
依里は、この後、父親から厳しい虐待を受けることになるのを分かりながら、「覚悟」をもって愛する湊に伝える。
結果、湊ではなく依里が「告白」をする形になる。
その後の虐待と風呂の意味は、考察3でチャッカマンの役割として詳しく述べた。
翌早朝、嵐の日、依里の自宅に駆け付けた湊は、風呂場で死んだようになっている依里を介助する。風呂場という子宮から、依里を「生まれ変わらせ」新しい生命を誕生させる。
台風の風雨のなか、途中自転車も捨て走ってきた湊は、大きなレインコートを着たまま風呂場に入る。
依里は湊のレインコートの下から引きずり出される。湊のレインコートは女性が出産時に着る服とそっくりだ。
湊が依里の母親になり、依里を出産したことを示す。
そして、依里は生きながらに「生まれ変わる」。
「条件づけ」がすべて解かれ、「自立」を果たした湊は、いまや依里を完全に支えることが出来た。「こうだったらいいなってやつ」になった。
うぶ声をあげながら、新たに誕生し風呂場を出た依里には、もはや虐待の痛みも傷もない。
湊と依里、ふたりの「覚悟」が新たな生命を依里に与えた。
嵐のなか、ふたりは秘密基地に走る。
ゲージから出て、自由に向けて走る。
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