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全考察シリーズ読みました!
最後の考察7では壮大なクライマックスにぐいぐい引き込まれていくようで、この考察シリーズという映画を見ているようでした。
人物の再生から宇宙の再生へと展開して行くなかで、読んでいる自分が「考察空間」という次元に紛れ込んでいたような気分になります。
しかも、登場人物の再生サイクルと宇宙の再生サイクルが、相似形となって書かれていて面白いのです。
和さんが、いつもお話しされている「自分を観る」という行為は、『怪物』の主題の行為とも相似系になっていると思いました。
自分自身で、
1)自己の真実の吐露を自ら積極的に行い
2)条件付けに気付き
3)それに呆れ返り
4)内的な死を乗り越え
5)再生する。
というサイクルを、覚悟を決め、祈りとともに行っていく。
自身をありのままへと純化させていく。
なにか出来事があっても、
「あ〜これ自分が条件付けされているのかも。内的に死ぬつもりで思い切って言ってしまおう!」
と、比較的翻弄されることなく冷静に、まるで映画『怪物』を観ているかのような、自分の物語を楽しんでいるような感覚でいられます。
いつも気づきを与えていただき有難うございます。
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そうなのですよね。
たとえ、ハンズオンヒーリングのような言葉を使わない癒しであったとしても、「気づき」から「再生」へと至るすべてのプロセスは、個人のなかでこの過程を辿ります。
映画ではこのプロセス全体が、音楽室で校長がホルンとトロンボーンを吹く日に、集中して起きます。
だからこそ、天に向けて「気づき」の連鎖が起き、宇宙全体の再生に向けて動き出すことが出来ると言えます。
あらためて、素晴らしい脚本だと感じます。
この「再生」へ向けてのプロセスを歩めないひとは、なにか試練やチャレンジが起きても、
1)否認し
2)怒り
3)他者をコントロールし
4)取引として、新たな別の条件づけやマインドコントロールをします。
そして、
5)鈍感になるか、そうでなければ抑うつ状態
になります。
ここには「ありのまま」もなければ、「自分を観る」こともありません。
そして、別の答え探しがつづきます。
自己変革もなければ、「愛」もありません。
いま、世界全体が上記プロセスに陥っているのは、ほとんどの人々も同じプロセスに陥っているからです。
だからこそ、考察1で最初に述べたことにつながります。
「この作品は、物語の力で、映像の力で、この状況からわたしたちを救い出そうとしている。それゆえ、傑作なのだ」
『怪物』は、自己変革と愛の物語なのです。