オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

あるクライアントとの書簡

【恋愛】

Aさん

私は、一時的に自分を好きになってくれる人はいても、ずっと愛してくれる人はいないと思っている。

潜在的な意識であったが、相手への信頼がないのはそこから来ているのかもしれない。

 

沢渡和

「愛」をどのようにとらえるかにもよりますが、男女の愛を考えるならば、おなじ人を何十年も愛することをしつづけるならば、それはある種のホラーだと思っています。

 

すべては「変化」しなくては宇宙も人も拡張出来ないので、感情的なものもハート的なものも変化を余儀なくされています。現実が「変化に向けての挑戦」を常にしかけてくるのが人生、と私はとらえています。

安定をほしがる以上、幸せはありません。

 

「友情」と「母親が幼少期のこどもに与える母性」が、もっとも愛に近しいエネルギーと考えています。

友情は永くつづきます。友情の場合、双方に欲求がなく見返りを求めていないものだからです。

友情のような関係性を恋愛においても模索しなくてはなりません。

 

友情と恋愛の相違は、肉体的接触があるかないかの違いだけかもしれません。

接触がある分、友情関係よりは濃いものとなりますが、その濃度は肉体関係をどのように当人が考えているかに依ります。

肉体接触は「癒し」の力を否応なく発動させるので、それすらも「癒し」ととらえるのが、私は正しいと思っています。

 

さて、友情においても「ずっと愛してくれる人はいない」と考えているならば、その場合は「人への不信感」がテーマとなることでしょう。

 

Aさん

「自分が努力すれば他者の感情をコントロール出来るとも考えている」のは全くその通りだと感じる。

この考えに私の人生はかなり苦しめられてきたように思う。

 

私のことを好きでいてくれているのならば、変わってくれるだろう。

好きならばこのようなことはしないんじゃないか、という自身の固定概念があるからだ。

 

沢渡和

自らの怖れを鎮めるために、他者の感情をコントロールしたいという気持ちの動きに敏感でいることです。

たとえそのような行為をとってしまった後でさえも、気づいたらやめる。

そして関係性や人生がどう変わっていくかを注視してみることです。

「愛」は永遠に動き続けるものなので、一瞬でも愛を感じられたならばそれで良しとしなくてはなりません。

その感じたものを大切にして生きていく。

たとえば、それは一瞬の笑顔とか語り合いや言葉とか触れあい、ただともにいるだけの感覚で感じられる類いのものです。

 

ひとは、未成熟であればあるほど多数の側面を持つものなので、他者に一貫性を求めることが大きな間違いです。

自然は一貫性があるので、ひとより進化しています。植物との触れあいを勧める理由です。

 

「好きならばこのようなことはしないんじゃないか」

これは仮説であり幻想なので、いくらでも自分で際限なく膨らませていくことが出来ます。

そして、ひとは不自由になります。

まずはこうした心の動きに気づくことです。

 

他者への過度の「期待」をしない。

期待をするくらいなら、その期待を生む行為言動を最初からしないことです。

 
 

【愛】

Aさん

人を愛すって何だろう。愛されるって何だろう。

もっと他人を信頼したい。

人を信頼するためには何をすればいいんだろう。

私が変わったら、もっと幸せに生きられるのかな。

どうしてずっと苦しいのだろう。

 

沢渡和

自然や植物を愛すって何だろう、

自然から愛されるって何だろう。

「存在への感謝」や「生命との一体感」なのだと思います。

一瞬の。

一瞬が永遠に生きつづけるような。

 

海が輝いているのを観るだけで、

誰かの笑顔をみるだけで、

ひとはなぜこんなに心がときめくのか。

 

【感情の痛み】

Aさん

一つ一つの感情を整理していけば、からまった糸は解けるのだろうか。

過去の出来事で何が苦しかったのか、その時何を思っていたのかはあまり覚えてはいない。

だからか、すべての困難は時間が解決してくれたと感じているが、それは勘違いなのだろうか。

 

沢渡和

自分については思考することを辞めることです。

多くのひとは勉学含めた思考の力でなんとかここまできたので、自分についてもそれを援用してしまう。

そしてより絡まった糸を増やしてしまう。

 

勉学の価値は、好奇心や探究心の刺激として用いる。

もちろん仕事や日常生活では思考やロジックは有効です。

ですが、ロジックは生命体との相性は悪いのです。もちろん天界とも。

これらは「無限性」に立脚しているからです。

 

自身の気持ちを感じ尽くすことは大切です。

言葉を捨てて感じる。感覚は生命に立脚できるからです。

思考やロジックではなく、感覚を大切に。

 

抑圧したつらさは、それが癒されていない限りどこかで必ず噴出します。

圧縮された空気と同じです。

噴出するのは来生かもしれません。

そして、抑圧がつづくと、人は鈍感になります。

すると好きや嫌いも含め、人生の歓びが分からなくなります。

 

自分にとっての「好き」や「歓び」を探求することなしで、ひとは幸せになれません。

ここに時間と、意識と、労力、お金を傾ける。

これをできるだけ早くはじめるのです。

 

いつか、必ず愉しくなります。

【自然体でいきる】

Aさん

私は知らず知らずのうちに一人芝居していることがよくあると思う。

勝手に期待をして、勝手に落ち込む。

これは本当に治したい。

苦しいから。

 

どうして私は自分軸で生きられないのか。

 

沢渡和

自分の一挙手一投足や心持ちについて、他人軸や客観軸をやめるしか方法はないです。

あなたが自然体でいるとき、他者も自然体でいられる。

 

あなたが他者の歓びを優先して考えているとき、

さて、他者は自然体でいられるだろうか。

 

自己肯定感の低い他者なら、あなたを利用して自分の肯定感を高めようとするでしょう。

 

自己肯定感の高い他者なら、きっとあなたの作戦にはのらずに、素顔のあなたを、ありのままのあなたを、どうやったら引き出せるだろうかと考えるでしょう。

 

 

Aさん

やりたいことも、特段好きなものもないから他人に依存した生き方になっているのだろうか。

沢渡さんは以前、「人でも物でもいつ手放してもいいと思って生きること」という言葉を贈ってくれた。

依存している今の私にはそれができない。

でも、だから、心からいつ手放してもいいと思えるようになりたい。

 

沢渡和

私も完全にはなれていません。

ただ、これは本当のことなのですが、

わたしの人生は、そのすべてが愛おしいもののみで囲まれています。

そして、それらの存在へは、こころからの感謝しかないのです。

なにをしていても。

いま、この文章を書いているときも。

 

自分の「好き」と「歓び」を、

ずっと自分なりの方法で「探求」してきたからなのだと思います。