この3日間のブログのつづき。
4日前 から読んで頂けると幸いです。
B あなたはそのままで既に完璧なのであなた自身の「あるがまま」でいなさい。
この文を整理していこう。
1 あなたはそのままで既に完璧。
「完璧」とは何か?
「完璧」とは、完全・100点満点という意味ではない。
だって、あなたは完全・100点満点ではない。
誰よりも自分がよく知っているでしょう。
とすると、
「あなたは完璧」
とはどのようなことを指しているのか?
「あなた」と「完璧」のあいだに、「そのままで」と「既に」という言葉がある。
「そのままで」の反意語は「何かをしようとする」である。
「すでに」の反意語は「まだ(これから先に)」。
「あなたはそのままでいるときは完璧」
むしろ
「“まだ(これから先に)”“何かをしようとしている”あなたは完璧ではない」
この場合の「完璧」の意味は?
さて、誰が誰のために完璧と判断しているのか?
神か? 世間か? あなたか?
神でしょう。
だからBのメッセージはチャネリングでもたらされることが多い。
誰のために?
神か? 世間か? あなたか?
あなたでしょう。
“あなたにとって”完璧と神が判断している。
では「完璧」の意味は?
完璧=なにひとつ不足のない状態。完全に充ちたりている状態。
よって1の文章の本来の意味は、
「あなたがそのままでいるときは、あなたにとっては完全に充ちたりている状態です」
そう神は判断しています。
です。
2 あなた自身の「あるがまま」でいなさい。
「あるがまま」とは何か?
ブログ を参照。
つまり、
これから何かしようとして「あるがまま」から離れていこうとする
あなたは、完璧ではない。
だから
B あなたはそのままで既に完全に充ちたりた状態なので、
あなた自身の「あるがまま」でいなさい。
となる。
では、「努力」しなくていいのか。
はい。一般的な意味ではそうです。
でも、Bに書いてあるとおり、
あなたは自身が「充ちたりた状態」と思えますか?
不安はありませんか?
怒りはありませんか?
欲しいものはありませんか?
ありますね。
自分によほど強いマインドコントロールをしていない限り、
普通はあります。
本当は完全に充ちたりた状態である(はずなのに)、
(残念ながら私には)不安も怒りも新たな欲望もあります。
これらがあるからこそ、私は“これから先に”“何かをしようとする”のですから。
どうしてこんな私なのかしら?
と当然の疑問を持ちますよね。
どうしてなのかをあなたが知るには、
あなたの不安と怒りと欲望を観なくてはなりません。
すると、その「自分を観る」行為自体が、自然と、
B 私はこのままで既に完璧なので私自身の「あるがまま」でいます。
に導いていきます。不安などの不自然さも「ありのまま」ですから。
正しい認識は、自己治癒力につながっていくからです。
結果だんだんと、余計なことを疑いそして行わなくなります。
つまりBのメッセージの内容は、欲望肯定とは対極にあります。
欲望のための努力は必要ない。Bはそう言っています。
以上がBの本来的な意味です。
この長いテーマもようやく終焉を迎えてきました。
今までの整理をしてみましょう。
現在スピリチュアル界で広められている3つの考え方について。
A ポジティブシンキングなり「愛」や「感謝」の気持ちですべてを見なさい。
B あなたはそのままで既に完璧なのであなた自身の「あるがまま」でいなさい。
C すべては愛であり、またすべては完璧なので信頼と感謝が大切。
ABCすべて本当。
問題は言葉の指し示す内容にあるので、それを厳密にしてみると、
A 自らの意識を出来るだけ高いレベル(種子)のものに合わせ、
低いレベルの種子にはそれ以上水を蒔かないようにして育てない
ようにしましょう。
B 私はこのままで既に完璧に充ちたりているので、私自身の「あるがまま」
でいます(何かしたい気持ちになったり、するときにはそれが余計なこ
とではないかその動機を確認します)。
そして私が完璧と思えない部分については私の内面を「ありのまま」に
観ていきます。
C 「すべては愛」と言うときの「愛」とは、
自らの創造を可能ならしめている場と創造のプロセス全体のことです。
そして、だから、「愛」に生きるとは「永遠の創造」に生きるということ。
創造活動を通して深い感謝の念が自然と生まれてくる。
創造活動を通して万物が自然と進化していく、そうした完璧さが常にある。
最後まで付き合ってくれて
ありがとうございます。
akuaのドルフィンスイムではいつも100頭近くのイルカとともに遊んでいる