『心臓という「物」から、循環という「作用」ないし「機能」が出てこないように、脳という「物」から「機能」である心が出てくるはずがない。』
養老孟司氏の著作『唯脳論』のキーメッセージである。
オーラやチャクラを観ていていつも思うのですが、大切なのはその存在の果たす「作用」であり「機能」です。
機能不全の理由を、肉体の欠落のみに追い求めてしまうと、「そもそもどうして肉体が不調に至ったのか」についての探究がなくなってしまいます。
「どうして肉体が不調に至ったのか」
これを物質的な視点だけから解釈するのは、どうしたって無理があるでしょう。
そうでないと、私たちという存在すべてが肉体に還元されてしまいます。
物質に還元されてしまいます。
意識の居場所がなくなってしまう。
意識にはちゃんと居場所があるとして、はてさて、意識は肉体にあるのでしょうか。
1 肉体(脳)が意識を動かしているのでしょうか。
2 意識が肉体(脳)を動かしているのでしょうか。
日々の生活の中で、真っ当に考えるならば、両方でしょう。
そして、両方だと考えるならば、両方を観なくてはならないでしょう。
両方に気を配らなくてはならないでしょう。
肉体と意識の相互作用を見つめる必要があるでしょう。
気になるのは、2の視点で捉える人が、今の世のなか、少なすぎることです。
1の視点で捉えるよりも2の視点で捉えた方が、はるかにその相互作用が分かると思うのです。
私には、養老孟司先生の冒頭の言葉が、そのことを示唆しているのだと、そう感じるのです。
ボロブドゥール寺院でのらせていただいた
ぞうさんだぞー