オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

疑え

近代教育のもとでは、その教わる内容を疑いはじめたら、
余程の人でない限りは良い成績を上げることが出来ない。


どうして1+1=2なのか?
そもそも「1」とは何なのか?
「1」 のなかに部分はないのか?
では、その部分は「1」ではないのか?
小数点などという便宜的なものには、決してごまかされまいとする精神。


このようなことを足し算を初めて習う小学一年生が考え出したら大変だ。
私は変わり者だったので、ついつい考えていましたが。。。


数字が好きだった私にとっては、
それぞれの数字は生命、生き物だったからです。


それは音楽が好きな人にとって、一つひとつの音が、
生命・生き物のように感じるのと同じだと思います。


学校で良い成績をあげるには、実生活あるいは個人の実感というものを、
脇に置いておいて、各学問が提示する方法論に熟達しなくてはならない。
方法論を疑うと、方法に熟達する時間と関心がなくなってしまう。



また、そもそも、方法論に対しての疑問に、
意味や価値を見出してくれる大人も少ない。


こうした社会背景のもと、疑うことの方が
信じることよりも難しく感じる人が出来上がる。

いや、それどころか
「疑うということ」に
疑問を持つ人が出来上がる。



しかし、疑うことの方が、はるかに難しく価値あることだ。

ある事象を疑うには、
そのアプリオリとして各個人の実感を、
それは生命に根ざした直感といってもいいものだが、
そうしたものをその人は既に大切にしていなければ出来ないことだからだ。


疑うことは、個人の確信や直感を
信頼していないと出来まい。
自分の中心への信頼ともいえよう。


方法なり方法論なりに熟達することを続けていると、
ある提示された事象を無条件に信じる精神体系を、
知らず知らずに作り上げていく。

依存的に信じるようになる。
思考的に信じるようになる。


それは、自分の中心から信じているわけではない。
「私」がない。「魂」がない。


そしてその事象が持つ論理展開について、
疑えない人、疑わない人が量産されていく。
そのような人は一見「いい人」なだけに始末が悪い。
だが人生は混乱している。



自分のなかにある何かを信じたい気持ちを、知っていよう。
気付いていよう。
そうすれば、本当に信じることが出来る。
本当に信じるに足るものと出会えるようになる。



まずは手始めに、
ここに書かれている内容を
疑いの心を持って読み返してみたらどうだろうか。




朝陽や夕陽の上にある雲は、いつも海のように見える