ある考えなり理論なりの論理展開を疑うとは、
どのようにすることか。 疑え の補足
1 自分のなかの希望的観測を知っておく。
例えばそれを信じたい気持ちが、自分のなかにないのかどうかを知っておく。
あるならば、それを信じることの自分にとってのメリットを把握しておく。
2 相手の提示した前提が本当にそうかなと疑う。
その論理展開のなかで前提としていることを発見し、それを疑ってみる。
3 直感的、常識的に「おや」と思うことはないかどうか。
常識的におかしいもの。直感的におかしいものはないかどうかの確認。
上記のなかで、もっとも大切なのは 1。
真っ当に考える。
真っ直ぐ考える。
それを支えるのは、いつでも人が生まれながらに持つ常識。
生まれながらに持つ、感覚。感性。
実用に適した便利なモノは、その価値と効用を疑う。
内面に関する事柄、心理・真理・信仰に関する事柄は、
自らの持つ常識に照らし合わせて、その論理構成を疑う。
1を十分に知らないために、多くの人は宗教やスピリチュアルなことに
絶対的信仰を見出すのだと思う。
そしてその人の意に反して、クラウンチャクラは閉じていく。
ある考えなりその考えを標榜する組織なりを信じることは、
それ自体に既に、依存心が内在されている。
依存心とクラウンチャクラの性質は対極にある。
sedona のエアポートメサ
クラウンチャクラが活性化しもっともチャネリング的能力が活性化する場所