平和と平安が、すべての基盤である。
平和と平安のなかでの創造活動。
そして、その創造活動を通して、自らが、天と地の橋渡しとなっていくこと。
これが、歓びであり生の充溢感であろう。
モノや人と対峙するとき、真剣に、今にいること。
そのとき、探究があり、生きた工夫や創造があり、天地の橋渡しがある。
それが、また自らの平和と平安につながっていく。
今、皆、自分にとっての本当に必要なこと、大切なことを模索している。
だから、多くの人の意識のなかでは、何らかの創造活動がしたくなってきていることだろう。
ただ、そのための適切な出口が見つかっていないかもしれない。適当では、ダメと思い込んでいるから。
音や歌、色から入るのがいいと思う。
音も色もあなたも、もともとは光の振動だから。
平和と平安が、すべての基盤である。
「経済がすべての基盤」 である。
(宗教色の強い国では、その宗教が、すべての基盤であろう。)
これが、今を生きる人のなかに、深く深く刷り込まれているマインドコントロールではないか。
経済基盤が、失われたらどうするのだ。と。
だが、そもそも、なぜ経済基盤を必要とするのかと言えば、
「自らの平安(安心)を得るため」
だろう。
「経済が、すべての基盤である」という発想からは、決して平安を得ることは叶わない。
なぜなら経済は相対的なものであるため、物質欲や階層上位欲、尊敬欲を満たしてくれるため、
より上位の欲に、人を駆り立てるからだ。
そのような自分の様を見ることなしに、こうした経済がもたらす欲からは自由になれない。
だから、このマインドコントロールを解くことは、なかなか出来ない。
オウム真理教が、話題になっていた時代に登場してきた、この「マインドコントロール」という言葉。
当時、オウム真理教の信者は、日本人のなかで圧倒的少数派だった。信仰年数も浅い。
一方、コントロールを解こうとしてくれる人の方は、圧倒的に多数派だった。
だから例外もいたが、多くの人は、このマインドコントロールから自由になれた。
しかし、今回のマインドコントロールは、その罹患者の規模と信仰年数は、かなりのものとなる。
罹患していない人の方が、圧倒的に少数派だ。
では、誰が、これを解き放てるのか。
私たちは、それを自らの魂と計画に託した。自らの、深い静かな部分で。
すべての基盤は、自らの平和と平安にある。
ここから、もたらされる経済的享受と生活のみで、充分と腹を括ること。
そこに向けて、まずは、たった一人で出発してみることだ。
そのように、自らの仕事を、創造活動をしてみること。
発見してみること。
そう思う。