オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

ジョルジュ・ドン


彼が円舞台の上に立ち、ポーズを決めた瞬間から
涙があふれ出てとまらなかった。

言葉にならない感動がやってきた。
思いもかけないことだった。


なにしろ、彼は、まだ踊り始めていない。



ただ、彼という存在が観客に向けて、準備をした。
踊りはじめる準備をしたに過ぎない。




肉体の動きの限界は、自らの精神の動きの限界に等しい。
だから放っておくと、それは精神の不自由につながってしまう。

それは許さない。
それだけは許さない。


彼の魂は自由を求めているから。
「自由」より大切なものなどないのだから。



肉体がある限界を超えるということは、
自らの精神がより自由に向かっていくこと。


そのように思い定めて、肉体の刻苦を通して
精神をより自由へ、より自由へと、導いていく。


彼の踊るボレロは、彼自身の自由への飛翔であり、
そこに「美」があるゆえ、「美」を見出す者達をも巻き込んで、
高く高く飛翔していく。



彼が自由を獲得していく、闘いとその果実。


私が今まで観てきた生の芸術のなかでもっとも感動したもの。

ジョルジュ・ドンが踊るボレロ


当時まだ大学生だった。
家族全員が泣いていた。
だが、私は自分が泣く理由について皆目分からなかった。




肉体を通して自らの観念を刻々と修正していく。
精神を通して自らの肉体を刻々と修正していく。



その愉悦を知ったもののみに許されている、限界の超越。
だから彼は、自らの限界を超えることのみを、求めた。

何か素晴らしいことを求めたのではない。


彼にとっては、

    現実 = 観念。精神。    
    現実 ≠ 価値あること。素晴らしいこと。



現実に肉体を通して展開される「超越の美」は、すなはち、彼の踊りは
一切の解釈を拒絶したいと願っている。


   ただ、しっかりと目を見開いて見よ。


それだけを願っている。

   



こうしたことが、彼が踊りはじめる前の
わずか数秒の静寂のなかに顕されていた。



今にして、そう思う。



  



彼は今は亡き人なので、舞台で観ることは叶いませんが、
彼の踊るボレロを観たい人は、
映画「愛と哀しみのボレロ」を是非観て下さい。
実際に主演の一人として出ています。