オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

スピリチュアルの危険性 1

目に見える世界には、その世界なりの面白さと危険性があります。

目に見えない世界にも、同様にその世界なりの面白さと危険性があります。

危険性については、目に見えないからこそより高まるとも言えます。


以下のスピリチュアルなことの危険性について、認識しておくことをお薦めします。



1. 独りよがりになってしまう。


自分の感じているものや考えているものについて、
また自分のアウトプットしたものについてレビューをして
くれる人がいないとこうなります。

例えばチャネリングという行為ひとつをとってみても、
どこまでほんとうに天使やマスターとつながれているのか、
それとも自分のインナーチャイルドが言って欲しいことやして欲しいことを
話しているのか、あるいは酷い場合には、エネルギーの低い存在に
憑依されているのか。


その判断を自分一人ですることは難しいものです。

最初はまともにチャネリングが出来ていた人も、いつしか
独りよがりになりかねません。
そうした例を沢山見てきています。

創造行為は、そのひとをあらわにしていくのでしょう。

例えば、絵を描くことやものを創る行為などの目に見える創造行為ならば、
その出来上がった存在そのものが、自分の過ちに気付かせてくれたりもします。


ですが、目に見えないものの場合、特にエネルギー的なものの場合は、
自分が誤った方向に行っていることにいつまでも気付かない怖れがあります。

例えば、チャネリングが出来る自分でいたいと思う気持ちが、
それを失うことを怖れて、自分がチャネリングを出来ることに、
より一層の執着をしてしまうかもしれません。

そして誰かに褒められたり感謝されたりすると、それに頼ったり
自信過剰になるかもしれません。

これはなにもチャネリングに限りません。


スピリチュアルな分野は、一般常識や教養ではないため、
それを知っているというだけで、生きていく大切な秘密を得たような気持ちに
なり優越感を持ちがちになります。


スピリチュアルの素晴らしさは
「すべてを対象とした探求心を持てること」にあります。


科学はモノとモノとの関係性の探究に限られます。
関係性のなかで何らかの法則を見つけ検証しその法則を
数値化していくことが、科学的方法論のほぼすべてではないでしょうか。

一方、スピリチュアルでは、数値化も検証も出来ない事柄について、
それは例えば、己の存在であったり意識であったり感情であったり
といったものすべてが、その探究対象となります。

何かの秘密を知るためではありません。
探究そのもののためにです。


目に見えるものは、目に見えないものの反映なので、
確かに目に見えないものの方がすべてのベースとは、なっています。


ですが、もう一歩、深めてみましょう。


その目に見えないもののベースは、
それを認識している「あなた」にほかなりません。