オーラが、肉眼で見え始めたのは、
今からちょうど16年前、ある本との出会いのが契機だった。
その数日後に、阪神大震災があったので、良く覚えている。
その日を境に、私の世界は180度変わった。
それまで勤めていた会社を辞め、
オーラの世界を探究してみようと思い、
当時出版されていたスピリチュアルな関連本も読み漁った。
日本でまだ出版されていはいない本は、原文にも当たった。挫折したけれど。。。
最初のうちは、それまで認識していなかった世界を知ることが楽しくて、
いろいろな人や植物、はたまた物質の持つオーラを見ていた。
自分の見ているものとの違いが知りたくて、オーラ写真なるものも撮ってみた。
写真が映し出したものと、私が認識するものとは、随分と違っていた。
こうしたことも、一ヶ月もすると飽きてしまった。
いや正確には、オーラはとても美しいので、飽きはしないのだが、限界を感じだした。
オーラが見えるという、そのこと自体は、言ってみれば、
「あなたは今、紫色の服を着ていますね」と言っているようなものだからである。
むろん本人には、見えていない。
だから困ったことに、そこに相互交流は生まれない。
ある意味、一方的にこちらが話すだけである。
江原啓之さんの「オーラの泉」も、そうでしたよね。
そもそも、その人は、なぜ紫色の洋服(オーラ)を着るようになったのか。
その服(オーラ)を選ぶということは、どんな隠された意図があるのか。
そこから、どのような情報が読み取れるのか。
今、人生で直面していることと、何か関係があるのか。
なぜ、そうしたことに直面しているのか。
私が今ここで、そのようなことを知ることに、何か意味はあるのか。
といった質問が、当然のように湧いてきて、むしろ、オーラを見ることよりも、
このような質問に適切に答えていく方が、はるかに大切なことに思えたきたからである。
そして、始めたのがチャネリング。
チャネリングは、高次の存在とつながり、
エネルギーと言葉という形式で、この次元にメッセージをもたらすことを言うが、
そうしたことが自然と始まり、チャネリングの師と出会い、
自分が見ているオーラについても、チャネリングを通して、理解が深まり始めた。
チャネリングを用いた「オーラリーディングの個人カウンセリング」を始めたのは、
それから、しばらく経ってからだった。
カウンセリングの際、クライアントの方は当然、質問を用意してくる。
だが、大切なことは、クライアントの質問に適切に答えていくことではない。
断じてない。
大切なことは、上記のようなこと。つまり、
① なぜこの人は今、ここにいるのか。
② オーラ・チャクラから診断すると、当人の本質的課題はどのようなものなのか。
③ その課題を当人は、どのように捉えているのか。
④ その課題と当人の質問したい内容は、どのように関連性があるのか。あるいは、ないのか。
⑤ そもそも、なぜ、それを課題とするに至ったのか。
これらを個人カウンセリングで伝えていくということは、
「クライアントが、ただひたすらに、課題と向き合っていくことをサポートする」
ということに結果的になる。
ここで、面白い逆転現象が生じる。
課題と真正面から向き合うと、衝撃はあるが、さして辛くはない
ということ。
衝撃はそれまでの人生観、信念体系と自分の課題が密接に関係していた、ということに気付くがゆえ。
そして、さして辛くはないのは、真実を直視するがゆえに、
自己治癒力が同時発生的に働くから。
エネルギー的には、どこにも滞りや迂回、停滞がなくなるから。
元の状態に戻ろうとする力が、自己治癒力であり、
元の状態は、私たちの深いところが知っている。
その知っている部分を、魂と呼んでも、源と呼んでも、
あるいは、自然と呼んでも、宇宙と呼んでも構わない。
こうしたことは、治療、特に東洋治療に関わっている人の、多くから同意が得られよう。
真実の力が、私たちを癒す。
他者が癒すわけではない。
自分自身と真実の力が、私たちを癒し、自由にしてくれる。
だからこそ、私たちは、他者に内在している力を、ますます信頼出来るようになる。
他者の存在そのものを信頼出来る。
結果、ありのまますべてを、信頼出来る。