真実を知りながら、あるいは、それが真実だ、という確信までは至らなくとも、
「ひょっとするとこれは違うのではないか」
「こうした方が良いのではないか」
「こちらが正しいのではないか」
と思いながらも、その感覚に従うことなくあえて無視して、大勢に流されてしまったり、
誰かの押しの強さに負けてしまったり、ということは、誰にでもあることだと思います。
ですが、こうしたことが続いていくと、
あなたの第三の目のチャクラのエネルギーは、正常な流れを、
次第に持てなくなっていきます。
真実を知りながらも、その感覚を軽視したり、抑圧したりしていると、
エネルギー的にも、そうした抑圧の力が働くからです。
そして、「真実を知りながらもそれを軽視している」というあなたの生き方を、
鏡としてのあなたの人生に反映させていくために、
エネルギーと人生は、以下のようになっていきます。
スタート: 真実を知りながらそれを軽視する、あるいは無視する。
→ 第三の目のチャクラに、抑圧のエネルギーがかかっていく。
→ そして、次にその抑圧されたエネルギーが、自分の人生に展開していく。
→ 真実が抑圧される様を、その人は人生のなかで体験することになる。
そこから悪循環に入り、
→ ますます真実を軽視するようになる。
→ 人生経験のなかで、真実を軽視してもOKという証拠を手に入れるようになる。
→ いつしか、第三の目のチャクラのエネルギーが、上方に向けて曲がっていく。
→ 真実でないものを真実だと主張するようになる
というプロセスを辿っていってしまう場合があります。
ですが、安心して下さい。
わずか1年間で、あなたが上記のステップをすべて通るということは、まずありません。
真実を正確に感知していた人が、
真実でないものを真実だ、と主張するまでには、
通常、数世代の輪廻転生を経てからです。
理由は、第三の目のチャクラは「真実そのもの」と関わっているため、
成長や、成熟とも、深く関わっているからです。
瞬間的な進化はあっても、
瞬間的な退化というものは、そうそう滅多にはないのです。
ただ、上記の一つ一つのステップで、苦悩はあることでしょう。
あなたではない何者かに、それは概念や組織や人などに、
自らの力やエネルギーを委ねていっているのですから。
本質的なあなたの在り方から、離れていくのですから。
自分が自分ではなくなっていくのですから、当然、苦悩はします。
だから、何かがおかしいと感じているとき、一歩踏みとどまって下さい。
そのために、時々、静かに瞑想をすることをお勧めします。
自分自身の「場」と「スペース」を創り出すのです。
瞑想とは、その人本来の空間に静かに佇むことなのです。
瞑想とは、すべての過去から離れていくことなのです。
瞑想とは、あなたの真実の場なのです。
だから、瞑想は自分自身の開花の場なのです。