オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

そこにハートがあるから

ハートのエネルギー層は、7つに分かれているオーラの層のなかで、真ん中に位置している。
ハートチャクラも、7つあるチャクラのなかで、真ん中に位置している。
両手を左右に拡げたとき、その真ん中に位置しているのも、ハート。

人の中心、それがハート。


十字架は、ハートを中心に、天と地を結んでいる形。
ハートを中心に、左(女性性としての受容性)と
右(男性性としての創造性)に拡張していく形。
私には、十字はハートを中心とした、人間の拡張性のシンボルに見える。


ハートのエネルギー層に内在しているものは、
「無執着」のエネルギー。
だから、前日のブログで紹介したとおり、ハートが活性化していく際には、
その人の持つ依存関係や、執着体系の破壊を迎えることが多い。

分離がない、葛藤がないということは、
その人のなかに、執着的・固執的エネルギーがない、ということだから。


無執着のエネルギーを内包しているからこそ、分離がなくなり、
ハートは統合のセンターとなりうる。

しかし、ハートは統合しよう、などとはしていない。

統合しようとするのではなく、
ハートは、対立している両者間の分離の壁が、崩れ去ることを要求している。
分離の壁が崩れ去れば、自然と調和になり、結果的に、統合的状態が生まれる。



統合しようとすることは、一つの「欲」の顕れ。

そう認識した上で、自身の内部で分離や葛藤している様を、
なにものにも、こだわらずに観察してみよう。

自分は、なぜ分離させたいのか、
もっと言えば「分離させようとしているのはまさに自分に他ならない」という視点で観察してみよう。


すると、自分の「欲」なり「こだわり」なりが見えてくる。

あとは、自分としてどうするかのみ。

最終決定権は、自分のみにある。


ただ、どんな決定であっても、
どこまでも自分自身をごまかさずに、誠実であろうとすること。

自分の欲の理由付けをせずに、
欲は欲として認めておくこと。
執着は執着として認めておくこと。


そして、いつの日か、その執着や欲望、あるいは恐怖から、
自由になれれば、と願っていること。


すると、自然と、あなたの魂は、その執着を手放す方向に向かっていく。
おそらく、あなたも、さほど苦しむことなく、それが実現される。

それは、自転車を漕いでいるとき、
自転車が、あなたの見ている方向に、向かおうとするのに似ている。

人は、意識の向いている方向に向かっていく。

自分自身をごまかすと、そのごまかした分、あなたのエネルギーやブロックは複雑になる。


だから、だれにも話さなくていいから、いつも自分自身には100%誠実でいようとする。

そうであることに他者は関係ない。



さて、ハートは位置的にも、エネルギー的にも、冒頭述べたとおり、
私たちの中心にある。


だから、ハートを無視し続けて生きるというのも、かなりの困難を極める。
普通の人にとっては。


ハートを無視して、
「お金がすべて」
「欲望充足こそ生き甲斐」
「目的達成のために他人をコントロール」などを
積極肯定して、生き続けるのは、本来、私たちには難しいことなのだ。


「お金儲けは、そんなに悪いことですか?」というフレーズを覚えている人もいるだろう。


お金儲けへの邁進は、悪くはないが、一抹の良心の呵責を感じる。
私にはそんな風には割り切れない・・・・
これが普通の人の感覚だと思う。


でも、世間はお金儲けを煽る。
豊かになることを煽る。


なぜならビジネス・経済は欲望充足を、その存在基盤としているから。


組織体のほとんどは、経済基盤をベースとして、成り立っているから。


だから組織は、その組織自体の維持のために、お金儲けを煽る。
個人は、いつしか、それらに扇動されていってしまうのだ。
一抹の良心の呵責を、最初は感じながら。


そこで、頭のいい、世渡り上手な人達が考え出したのが、


「お金は感謝の気持ちの表れだから」とか
「もっと自分に素直でいようよ」とか
成功哲学」とか
「ありがとうを何万回も言うことで人生に奇跡を起こそう」


などで、耳に心地よい言葉の衣をまとうことで、
欲望を、他人にも自分にも見えにくくし、
双方が、良心の呵責を感じずに、自分の欲望を充足していくことを、
積極肯定する手法である。




さて、提唱者はともかくとして、これらを真剣に信じている人はどうなるのか。

その場合は、なぜ、それらを信じて実践しているのかという、
その人の「動機」による。


そこに、何らかの欲望があり、それを自分で自分に上手にごまかしているならば、
それは、複雑なブロック形状をまとい、いつか苦しくなるか、
あなたの顕在意識が、徐徐に、ハートから遠ざかっていくことになる。


自らの欲望を分かって行っているならば、
そして、いつか、その欲や恐怖から自由になりたいと思っているならば、
先ほど述べた通り、問題はない。


特に「ありがとう」などは、言霊としては美しいエネルギーだ。





ハートは、人生の万事を統合していくために、
無執着を、その拠り所としている。


だから、あまりに欲望充足的な生き方や依存的生き方、
執着固執的な生き方には、あなたのハートが長くは耐えられない。


そのような生き方を長く続けようとするならば、
ハートチャクラは閉じ、
繊細さではなく鈍感さを、
静けさではなく騒がしさを、
自然的なものではなく人工的なものを、
変化ではなく安定を、
求めるようになる。


それでも目的は、常にあることだろう。
いや、そのような人には、次なる目的しか眼中には、ないのかもしれない。


どうしても、このような欲望充足的な生き方が、
出来ない人。
生きづらい人。
要領よく立ち回れない人。
この世界で、現世的な目的が、見いだせない人。
  かといって
宗教組織などに依存は出来ない人。あるいは興味のない人。



あなたは、ハートが生き生きと脈動しているのかもしれません。


あなたは、自分にとって本当に大切なことに、それとは知らずに従っているのかもしれません。


あなたは、他のなによりも、真実を大切にしているのかもしれません。




そのような方へエールを送りたくて、この文章を書いてみました。