オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

インナーチャイルドワーク3

前回の記事で、インナーチャイルドワークの行い方について、以下のように記載した。

 

準備として、自分の「内なる幼な子」のための神聖なスペースと新しいノートを用意。 

1)幼児期のショック体験、恐怖体験を、勇気をもって、ノートに書き出します。

2)そのうちのひとつを選びます。

3)ハートに手を当てて、当時の「内なる幼な子」をイメージします。

4) その子は何歳ぐらいでしょうか。 (当時の年齢とは限りません)

5) その子はどんな服装、姿勢、まなざしでいますか。(当時の服装とは限りません)

6) 何か今のあなたに話したいことがないか聴いてみて下さい。

7)ただ、話しを聞く。なにも言葉を発しなければ、ただ待つ。

 

このなかで、もっとも難しいのは最初のステップの「自身のショック体験を思い出し、それと向き合う心の準備をすること」だろう。

 

このショックを追体験したくないがために、『期待をせずに我慢して生き』『我慢がなくなるまで我慢し続けてきた』のだから。

 

自らそこにわざわざ飛び込んでいくのは、そのことを考えただけでもイヤになり、しないで済む適当な理由を探そうとするだろう。

 

だから 

1)の辛い体験を十分に思い出しそれをノートに書き出すこと

が出来れば、このワークのもっとも高い壁を乗り越えたことになる。

そしてインナーチャイルドワークとしては、上記7つで終わりだが、セッションでは8)を用意している。

 

それは、

8) 幼児期のその辛い体験を思い出し、そのときの感情とひとつになる。

というステップである。

 

これも当人にとっては思い出したくもない、まして感情的になどつながりたくもないたぐいのことなので、難しいワークとなる。

 

セッションの場では、その人のその瞬間のエネルギー場を観ることが出来るので、どのように抵抗しているかが分かる。

それゆえ、分単位、秒単位で具体的なアドバイスが出来るが、ひとりでワークをする場合は当人も気づかない抵抗から、知らないうちにつながりを拒否してしまう場合が多い。

「やったつもり」になりがちなワークでもある。

 

たとえ、セッションの場で行うにしても、このワークは最初のステップと同じかそれ以上に最初しばらくはつらい。

 

セッション中に行うのは、最初は長くても5分程度だが、当人にとっては20~30分程度にも感じる大きなエネルギー消耗を伴うものとなる。

 

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1)~8)によって、凝固していたエネルギーの溶融がはじまる。そしてエネルギーの流れがうまれてくる。エネルギーの流れとはすなわち、自己治癒力だ。

 

『消えたい』の著者も次のように述べている。

『自分を知ることは、知らないことで隠すことができた恐れと怒りと悲しみと、そして絶望と直面することになる』

 

 

どのようなことも直面することなくして「癒し」は生じないからだ。

 

記憶のほとんどは「言葉」と「映像」で形作られている。

誘導が必要になるが、直面するなかで途中から「言葉」と「映像」を捨てて向かいあうならば、当時のような苦しさや恐怖を感じないことに気づくだろう。

すると随分と感じ方が変わってくる。

このワークへの抵抗感も薄れてくる。

 

自分のなかにあるさまざまな側面や役割、また過去の自分の分身たちの断片(ピース)を統合していくものを「自分」というのだが、被虐経験のある方にはこの「自分」がない。

つどつどの恐怖体験を離人症状態で経験してきているからだ。

 

だから、過去の自分の分身たちは、いくつにも分裂したままの状態で、放って置かれたままになってきた。ひどい場合には強いショック体験ごとに数十数百の分裂した分身があるかもしれない。

 

当人たちは、こうした分身たちを掘り下げずに、むしろ今の自分とはなんの関係もないとすることで頑張ってきた。

だから、それらを「自分」の仲間に取り込み統合するということは、いまの「自分」を組み替える、あるいは否定する必要が出てくる。ほぼそうなってしまう。

このことを察知しているからこそ、分身たちを放っておいてきた。

直面することは、ここまでなんとかかろうじて維持してきた自分の最後の砦である「尊厳」を崩壊しかねない。

それは、耐えがたい恐怖と絶望を伴う。

おそらく、通常の生活をしてきた人には計り知ることの出来ない「勇気」が必要となる。

セッション中は祈るような思いで、見守ることになる。

 

 

インナーチャイルドワークにおいては、過去のこれらの断片や分裂をいまのあなたが「ただ観る」ことにより、それら断片のゆるやかな統合がはじまっていく。

過去の分身たちと、今の自分自身との間が架け橋でつながりはじめる。

 

「ただ観る」本人は、すべてのものを統合できる唯一の場である「いま、ここ」にいる。しかもそれは生命を持つあなた自身でもある。だから「ただ観る」ことによって生命の持つ力で「あなた」のもと自然に統合がはじまっていく。

なぜならそれら分身は、統合されている状態がその人にとっての本来の姿だからだ。

 

だから、なにか別の無理な力を加えなくとも統合は自然にはじまっていくのが、普通である。

 

統合がはじまっていく過程のなかで、そのうち、静かな「安心感」がやってくる。

こころの「静けさ」がやってくる。

無理をしないあり方でいられるようになる。

いままで無理をしていたことに気づけるようにもなる。

 

何をしていなくても、ただ楽な感覚と何かから守られている安心感を得ている自分に気づくだろう。

 

いのちの充実感を感じるだろう。

 

本来のあなたは、そこからやってきているがゆえに、必ずそこに戻れる。

 

被虐待体験を持つ方々だけでなく、実はだれにとっても、そこがゴールであり同時にスタート地点となる。

 

 

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