自らを、人生の瞬間瞬間を創造している創造主、としてとらえていく在り方と、
常に自らを受け身的にとらえ、
親なり、自分の置かれた境遇なり、環境なりからの被害者であると、
とらえる在り方とは正反対にある。
創造主の反意語は、被害者意識だ。
被害者的立場をとった場合、他者を非難できる、というメリットがある。
他者の非難を通して、相対的に自分の位置を確認し、高めていくことが出来る。
また、同じように非難する人たちとの間で、連帯感や同胞意識を持つことが出来る。
何よりも、他人を非難することは、気持ちがスッキリするかもしれない。
一方、自らは創造主である、という立場をとった場合。
良きにつけ、悪しきにつけ、人生で生じるすべての事柄は、自分次第でどうにでもなる、
だから、
自分が変わりさえすれば、すべてを変えていくことが出来る、
というメリットがある。
ただし、
「たった一人で、ことに当たる」
という覚悟が必要になる。
「たった一人で、決断していく」
という覚悟が必要になる。
人生を、誰のせいにも出来なくなる。
「自分が変わること以外では、何一つ状況は変化しない」
ということを受け容れなくては、ならなくなる。
さて、どちらかしか選べないとしたら、どちらを選びますか。
あるいは
あなたは、どちらを選んで生まれてきたと思いますか。