オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

第三の目のチャクラ

  「○○ は XX である」

というように、答というものは、
常に肯定形で与えられるものだ、と思っているかもしれない。


しかし、存在という形式を探究していくと、
答はむしろ否定によってもたらされる。

いや、否定によって近づくことが出来る。

  「AはBではない」
  「AはCでもない」
  「AはDでもない」

というように。

この形式。なにかに似ていないだろうか。


そう。般若心経。般若心経の場合は、

  「AはBではない」
  「BはAでもない」
  「だがAはBでもあり」
  「BはAでもある」

と、こちらを翻弄するかのように展開していく。

   色不異空
   空不異色
   色即是空
   空即是色

般若心経は、否定を示す「不」や「無」の文字のオンパレードだ。
一度、是非、読んでみて欲しい。

存在の真理について探究を深めていくと、
必然、このような否定の形式をとらざるを得ないのだろう。


それは、探究というものには終わりがないから。

どのような探究の果ての理解も、一通過点としてしか位置付けられないから。

「未知なるものが絶えることがない」ということが、
「無限」ということだから。



真理は、無限性の性質を備えているがゆえに、
「あることについての定義」は、
その定義の持つベクトル(方向性)が正確であるならば、
「真理」とも言えるし、
また「真理にはまだまだほど遠い」とも、言えてしまう。

つまり、たとえベクトルが正しくとも、
それは、いつも「一過性の真理」でしか、ない。

どのように定義された真理であってもだ。

私たちという意識存在も、この宇宙も、それほどまでに多次元的なのだ。


第三の目のチャクラは、真実・真理を捉えていくことと深く関わっている。
だが、真理・真実は、常に「一過性」「一側面」に過ぎない。

そのような機能を持つ第三の目のチャクラについては、
「このようにすれば、正しく螺旋形に開いていく」という定義は、似つかわしくない。

むしろ、このようなことをすると、
「正しく螺旋形を描かない開き方となる」
あるいは「閉じていく」ということならば言いやすい。


  「これこそが真理だと強い信念を持ち、疑いを持たなくなったとき」
  「問いかけがなくなったとき」
  「低いエネルギーレベル(怒り、執着、欲望、コントロール等)こそが真実だと思っているとき」
  「感覚(直感、内なる声、確信感等)を無視するとき」
  「思考・概念・論理を最重要視するとき」

こうしたとき、第三の目のチャクラのエネルギー渦は、
オーラフィールドの2層、あるいは、3層で閉じるか、歪曲している。


だから、上記のことをしないとき、
螺旋の渦は、正常に元に戻ろうとする力が働く。

では、それだけでいいのかというと、そうではない。

そう思う。



ちなみに、オーラやチャクラのエネルギーを肉眼で認識するには、
このチャクラが、4層まで開いている必要がある。

しかし、この第三の目のチャクラは、下から数えて6番目のチャクラ。

だから、このチャクラのエネルギー螺旋の渦が、6層まで安定的に開いていくとき、
このチャクラの本質が、開花しているとも言える。

では、それはどのような状態なのか。



私は、まだそのような人と出会ってはいない。
一時的に開いている場合は、多くある。

だが、一時的なのだ。


探究への好奇心と、それらからもたらされる存在に対する深い理解、
神秘性に対する受容、静かな感動を伴う、感謝のような、
瞑想のような、境界のない宇宙的祝福とともにある人。


このようなとき、はじめて、この人の第三の目のチャクラは、
6層まで安定的に開いているのではないか、と感じている。


  一言で言えば、それは「愛」なのだ、という確信がある。