「意識」こそ、すべてである。
ここで言う「すべて」とは、自らが直面する現実世界や内的世界を創り上げているもののすべて、という意味での「すべて」である。
天界もそこで脈動している自らの「魂」も、自らの内的世界のなかに含まれる。
自らの内的世界を掘り進めていくとき、その内奥には、こうした天界領域が脈動している。
そこにふれ合いはじめたとき、人生は奇跡に充ちてくる。
愛や気づき、信頼や静かな幸福感を感じられる小さな奇跡的な瞬間が、何度もなんどもやってくる。
そのようになると、人生に選択の機会が、さほどなくなってくる。
魂や天界が用意してきたレールに乗ることが、つまり、人生で起きてくる出来事に受容的でいることが、自らの歓びにつながることが分かるからだ。
自らの内奥に分け入ることをしている人のみが、享受できる世界でもある。
ただ、そこまで内奥とふれ合うには、ハートチャクラも第三の目のチャクラも、その他チャクラも多くが、第4層まで開いていることが必要になる。
変化しつづける、自らの生命意識の飽くなき探求。
その探求による気づき(認識)の向上。
この気づき(認識)は一見「静的」なものに見えるかもしれないが、この「気づき」自体が、動的な生命意識によってなされているため動的に「気づいて」いる。
探求と気づきという動的な両者が、循環的に螺旋を描き、相互に推進力を与え合いながら上昇していく。
これが「チャクラが開く」ということであり、生命の進化でもある。
ただ、生命に忠実であるだけで、「無限」に誘われるように仕組まれている聖なる神秘でもある。
以下の記事の補足でもあります。