本来、すべての秩序は、開かれたものでなければならない。
自然の持つ秩序が、そうであるように。
開かれていない秩序は、コントロールであり、制限でしかない。
自然なる秩序は、自らを超え、種を超え、地域を越え、地球をも越えていく。
生命は、そうした固定的・排他的でない開かれた秩序を、そのうちに宿している。
スピリチュアルな世界で、時折みられる、
固定的・排他的な秘儀のたぐいなどに、惑わされないでいて欲しい。
どんな理由であれ、すべてビジネス上の利益の問題、
あるいは、組織のヒエラルキー維持の問題と考えれば、合点がいくと思う。
あらゆる生命秩序は、既存細胞の廃棄が、構造化されており、
変化を旨とする。
入れ替わりを旨とする。
そのように開かれている。
秩序が開かれていると言うことは、構造が開かれているということだ。
もはや、それは構造とは、呼べないのかもしれないが。
この部分の詳細は、
福岡伸一氏の『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』を参照して欲しい。
彼は「流れ」という言葉で、この開かれた秩序のことを説明している。
さて、では、秩序は、何に向けて開かれているのか?
「すべてとひとつであること」に向けて。
むしろ、「すべてとひとつである」ことが、既に開かれている、ということなのだ。
すべてとひとつであるためには、
すべてが、すべてはひとつということ、に向けて開かれていなくてはならない。
そうしてはじめて、すべてとひとつ、ということが可能になる。
だから、あらゆる生命体も、そのようになっている。
突き詰めて言えば、「すべてはすべてとひとつである」という秩序があるだけだ。
私たちのハートは、それを知っている。
あなたのハートは、そこに導いていく。
オーラの7層では、こうした「開かれた秩序」のエネルギーが、常に保持されている。
オーラの7層も、当然、あなたの一側面だ。
つまり、
あなたという存在は、いつも全体に捧げられている。
その循環のなかにある。