何かをするとき、あるいは、何かを表現するとき。
「純化された意図」を、持ち続けられる人は少ない。
たとえ、最初は純化されていても、のちのち、別の意図や目的が入り込んでくる。
私は、そのことを「隠された意図」と呼んでいる。
どこから、誰から隠されているのかと言うと、
自我(エゴ)が、その隠された意図を巧妙に、自分自身に見えないようにしている。
自分が、自身に対して誠実でないことを、自分に対して見抜かれないようにしている。
分かりやすく言えば、
自分1(エゴ)が、自分2に見えないようにして、
自分3が、自分2と、自分3に対して誠実でないことを、
自分2に見抜かれないようにしている。
それぞれ、
自分1=自我(エゴ)
自分2=顕在意識
自分3=観察者である自分
隠された意図を、隠されたままにしているとき、
自分1=エゴはますます、自己の正当性を強化していく。
エゴにとっては、それが拠り所でもあるから。
自分1は、オーラの2層にブロック(エネルギーの停滞・凝固物)として存在している。
自分2は、オーラの3層の下部に、
自分3はオーラ3層に位置している。
隠された意図が在る限り、
そして力を持つ限り、チャクラのエネルギーは、4層に到達しない。
そのため、ハートは活性化しない。
セドナは、あなたのハートを活性化させていくために、
隠された意図を暴き出そうとする。
セドナほど強烈でなくとも、人生全体が、そうしようとしている。
それは魂(自分4)との合意のもと、執り行われている。
だから、何があっても落胆する必要はない。
ただ、真摯であれば良いはずだ。
写真は、セドナのベルロック。 自らの魂との出会いの場とされている。