オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

想念は自動的に生起しない

「思う」という行為は、
「感じる」という行為とは、随分異なっている。


「思う」は、能動的な行為であり、比して、
「感じる」という行為は、受動的なもの。



大多数の人は、何かを「思ってしまう」のは、
自らの意志の働きではなくて、ごくごく自然発生的なこと、と思っているのでは。


静かに、少し瞑想状態になって、
自らの「思い」を追ってみて欲しい。


ある考えなり想念を「思っていくその瞬間」を捕まえようとしてみて欲しい。

その思いが生まれる瞬間、自らの意志が働いていないだろうか。

ある「思い」を生起させているのは、自分のなかにある意思。 
そうではないだろうか。 


そして、その「思い」に水を蒔き、
その「思い」自体を増幅させ、持続させているのも、
同じく自分の意思ではないだろうか。




「感じる」という行為は、それに比べて、より受動的な働きだ。


だからこそ、何かを「感じている」時は、その働きのなかに、
あなたの意識ごと、埋没していくと良い。


一方、何かを「思ったり」「考えて」いるとき、
その働きのなかに埋没しても、出口は見つからない。


自らの意志、すなはち、不安感や欲などが、
その働きを生成させている場合が、多いのだから。


だから「思い」を「思い続けている」と、堂々巡りに陥りやすくなる。


自分が作り上げた、
出口のない「ああでもない」「こうでもない」という思い込みのパターンに、
入っていくから。



一度、
  「自分は、こう思おうとしている」
と捉え直してみよう。

  「自分のみが、こう思おうとしている」
と捉え直してみよう。


  「なぜ、この想念をしたいのか」
  「この想念に、なぜ、自分の時間とエネルギーを割きたいのか」
と問いかけてみて欲しい。


そして、本当に思いたいこと、思念したいことに、時間を費やしていって欲しい。


  「思い」自体のなかに、あなたの自由な意思が、既に発露されている。


   こうしたことすべてへの新鮮な気付きが「瞑想」である。