目標のすべてを、否定するわけではない。
短期的な日々の目標や、10代のうちに持つ目標は構わない。
多くの場合、自分を律するためのものだろうから。
自分に対しての、躾のようなものだ。
だが、成熟した大人が、その実現に数ヶ月、数年かかる目標は、本当に必要なことだろうか。
そもそも、その目標を持つようになった動機はなんだろうか。
それが好きなことであれば、目標などは必要ないだろう。
目標を持たずとも、やっていくだろうから。
今、ありのままから逃げるために、目標を持っているのではないだろうか。
今、ありのままの自分を肯定出来ないから、目標達成時の自分に縋っているのではないだろうか。
それは、あなた自身にとって誠実なところから生まれた目標だろうか。
何らかの欲望を満たすため、ではないだろうか。
ひょっとすると、自分が進化したとの証明として、とらえたいのかもしれない。
大切なことは、その目標を達成出来ないとしたら、
あなたのなかに何らかの恐怖が芽生えないか、どうかということ。
もし、芽生えるのであれば、
目標達成、如何に関わらず、既にその恐怖は、あなたの内にある。
だから、その恐怖を見よう。
それが「ありのまま」の第一歩でもあるのだから。
あなたが、目標に向けて邁進すればするほど、
その目標は、未来のことであるため、幻想のなかに入っていく。
「今、ここ」から離れていく。
目標達成時の自分を肯定する度に、「今、ありのままのあなた」を否定していくことになる。
そして、自己否定が塵となって積もっていき、より一層の目的指向となっていく。
こうしたことは、一部の人にとって心地良いことなのだ。
なぜなら、幻想の世界も、自己否定も、ともに慣れてしまっていることだから。
だが、上記のことを続けていると喉のチャクラが、正常に機能しなくなっていく。
もう一度、自分が目標を設定した時の動機を、誠実に見つめてみよう。
そこに欲望なり、依存なり、見返したい気持ちなり、があるなら、
その目標自体が、いつか、あなたを裏切ることとなる。
目標を達成しても、何も状況は変わらない、という形で。
状況を変えていくのは、達成物や成果物ではない。
あなたの意識の純粋さと意思、そして、現状の自分を引き受ける覚悟のみが状況を変えていく。
不要で不純な目標は、手放してしまい、本当に好きなことに時間とエネルギーを使おう!
勇気が要ることだが、
まずは、そう決めよう!