人は多次元的存在です。意識的な多次元存在です。
人がそれを意識していようといまいと、常に多次元体です。
その多次元性をこの3次元で実現していくために、
オーラやチャクラのシステムはあります。
この3次元の中に、人がまさに生きているこの次元のなかに、
あなたの多次元性を結びつけるものが、考えられる限り、
ありとあらゆる形で内在されています。
人が自分を3次元的存在のみとして規定してしまわないようにです。
それは源からの愛といってもいいかもしれません。
例えば、それは、
光であり、
音であり、
色であり、
自然であり、
生命そのものであり、
チャネリングであり、
といったものです。
だからこそ芸術は価値があります。
人を多次元性に、いざなっていきます。
人に自らの多次元性を思い出させてくれます。
ある人はチャネリングによってそこにいざなわれるかもしれません。
人が多次元的な存在である時、
つまりエゴや分離という3次元的な制限された時空間にいないとき、
時間は関係なくなっているかのように流れています。
時間と言うものを意識していないと言ってもいいでしょう。
空間すらも意識していません。
時間は積み重ねです。だから「過去」しかありません。
人は過去と同じように、「未来」もあるかと思います。
しかし過去しかありません。未来はありません。
しかも過去は、あなたの意識のなかにしか存在していません。
未来も同様です。
つまり、過去も未来も、幻想なのです。
その幻想をどのように組み立てているのか、
それを見ないことには、この幻想から自由にはなれません。
多次元的なあなたが開花しません。