チャネリングの最中、その行き先なり結末は見えていない。
セッションでもセミナーでもそうです。
ただその瞬間の真実を、自らのハートからの動きや内在する動きに任せて、
言語化するだけです。
それを積み上げていくと、いつしか何らかの全体構造的なものが現れてきます。
これはハートと言うものが全てを一つにする力であるからだと思います。
ハートには分離が無いからです。
一方、思考と言うのは分離を促す力です。
これをこのように限定して、またそれを限定してという感じで進んでいくからです。
思考は
AだからB BだからC CだからD
という形式になる為に、それ以外のものを切り落としていきます。
思考や論理と言うのはどうしても分離・分割を内包してしまう。
ですから思考作業をいくら突き詰めていっても、
最初の段階の全体構造があるだけで、分離が突き詰められていくこととなります。
社会は思考でできています。
だから社会に合わせていく事を考えると、畢竟、思考が大事なように感じてしまう。
ところが一方、社会を構成する要素は、すべてひとつひとつの生命です。
生命は「すべてがつながりあっている」「すべてはひとつである」
という在り方を土台としています。
社会の仕組みや制度やその他色々な物は、思考で出来ている、
でもそこに構成している私たちは生命です。
私たちひとりひとりの生活において、この生命と社会が共存します。
これが私たちのなかで、矛盾と葛藤を生み出していきます。
この矛盾と葛藤を乗り越えていく力は、ハートにしかありません。