オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

検証不可能なこと

以下の2つを充たすものは、スピリチュアルなものだと考えています。


1 目に見えない非物質的なもの

2 数値に置き換えられないもの。測定出来ないもの。


この二つを充たすものを、立証したり反証したりすることは難しいですよね。
反証って、「それは正しくない」と証明することです。
立証って「それは正しい」と証明することです。くどいか。


上記のどちらも難しいことは「非科学的」
という烙印が押されることになります。
スピリチュアルもそうですよね。


だから、私にとっては、宇宙の暗黒物質とか暗黒エネルギーとかも
スピリチュアルな範疇になります


ここで、検証不可能なものであっても価値があるのです。
と述べたい訳ではありません。


  検証不可能だからこそ価値があるのです。
そう述べたいのです。






非科学的なものは間違っている、そうした常識があるように感じます。

そう思う人たちは、検証不可能なもの、
曖昧模糊としたものが嫌いなのでしょう。


例えば、テレビなどでは、スピリチュアルな事象を、反証しようとします。
すると、不思議なことに「これが反証されるといいな」と、テレビを眺めている
多くの人が思い始めます。

特にその事象が、人の持つ特殊能力的なもの、
オーラが見えるとか、過去や未来が分かるとか、スプーンを折れちゃうとかの
超人的能力の場合は、尚更この傾向が強い気がします。


おそらく、人のなかに超人的な存在を許したくないのでしょう。
あぁ、やっぱり私たちと同じだと、納得したいのかもしれません。
もうひとつには、結果・結論を早く出して欲しいからでしょう。

結果・結論が明確であればその番組を見たかいがあったと思えますし、
紆余曲折の末、落としどころにきれいに落ちてくれると面白い。
そして最後には安心出来ます。

こうした俗物的な気持ちを、テレビ番組は助長します。


ここで、上記1,2的な検証不可能なものを誰一人認めないし感じもしない社会が
あると、仮定してみましょう。
検証可能なもののみに囲まれている社会です。

そのような社会では、理性が感覚・感性に常に勝ってしまいます。
分かりやすさを求めるため、なんでもかんでも、有無をいわさず数値化していくことでしょう。


そもそも目に見えるものしかなかったのなら、すべてのものが「有限」になってしまう。
すぐに壁にぶつかって、その壁を乗り越えるのにも、
理性や論理で証明出来る方法で乗り越えるしかなくなるのです。


皆が頭でっかちになり、今とは比較にならない程の、
争いと生存競争、サバイバル意識に充ちた社会になるよね。
きっと。



目に見えなくて数値にも置き換えられなくて、しかも容易に観察すら出来ないものが
あるってことが、私たち自身の「平和」につながっているのではないか。

この宇宙の96%のものが、検証・観察されていない(そしておそらく今後も検証不可能な)
暗黒物質や暗黒エネルギーであるということは、私たちにとっての救いなのだ。


そうしたものが、バッファーやハンドルやブレーキなどの
「あそび」の役割を、果たしてくれるのではないか。


そんな風に思ってみるのはどうでしょう。


スピリチュアルを代表とした検証不可能なものは、
いつまでもどこまでも、検証不可能なままでいた方が、世のため人のためなのです。


そっとしておきましょう。
こっそり堂々と探究しましょう。


akua 沢渡和