オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

様々な論理

学問での、推論仮説を検証をしていくため方法としての論理
数学のほとんどごまかしのない論理
触媒作用などの少し飛躍と加速のある論理
法律などの、出来事との適用可能性と解釈を考えていく論理
民主主義などで言われる数の論理
マスメディアの論理とツイッターなどの論理と人間関係、会社内での論理


いろいろな論理がある。

でも私は、心のメカニズム、人の心のなかで働いている論理や形式に関心がある。


それはその人固有のものだ。
個別的な論理。


その人固有のものの考え方、感情の動き。
そのなかには、多くの人にも共通する普遍的なものもある。


この普遍性を抽出していくのが、芸術であったり文学であったりが持つ論理だと思う。
芸術家は、多くの人間に共通する論理、それどころか偉大な芸術家は
誰もが持つ普遍的な崇高さに長けている。
それを抽出して見せることで、多くの人の心を揺さぶることが出来る。


分野と崇高さは違うが、ヒトラーもそうだったのだろう。


最近、多くの人に目に付くものは、自分だけがうまく得して立ち回ろうとする論理。
別段、ヒトラーのように誰かを支配したりコントロールしようとはしてはいない。
ただ誰にも心の内を知られないように、自分ひとりうまく立ち回ろうとしているだけ。


それ以外にはほとんどなにもない。
心の内を知られないようにするのは、そこが空洞だから。

でも、うまく立ち回るということ以外なにもないことが知られるのは困るので、
無難な借り物やはやりもので、かつ誰もが持つ小さな欲望を充足するもの、
つまり多くの人の納得を得られるもので適当に化粧をしている。


最近こんな20代から50代が多い気がする。


こうした人間に限って、何かことにぶつかったとき、総論賛成・各論反対になる。
そうした紛糾した状況になることが分かっているから、
彼らは最初から総論にすらからまない。
一定の距離を置く。
近寄らないようにする。

どこにマジョリティーがあるのかだけを、どこが優勢になりそうな
グループなのかだけを気にしている。


各論とは自分に降りかかる犠牲のこと。彼らはそう知っている。
この多少の犠牲すらも、覚悟をしていないし、したくもない。
自分以外のことはどうでもいいと思っている。
別に他人に不幸になって欲しいとも支配しようとも思っていない。


でも彼らは人畜無害ではない。


社会はいつまでたっても論理が噛み合わず、物事が先に進まないで堂々巡りになっている。
人の弱さと、組織の醜さと、社会の脆弱さと過去の腐敗が露呈してきている。
当事者達が自分のことしか考えないときの法律の論理の役立たなさであり、
政治の論理の混乱であり、民主主義の論理の無力さである。

彼らの論理が招いている事態だ。


彼らは人畜無害ではない。



京大の小出先生は、真実への自己犠牲の覚悟が崇高なものであり
人間が本来持っていた論理なのだということを、私たちに思い出させてくれる。


人間の強さを私たちに思い出させてくれる。


彼のオーラは、やさしい。