「慈悲」とは分離を理解し受け止めること。
分離とは別れであったり、喪失であったり、対立であったり、葛藤であったり。
我々が、もし選択肢のなかで葛藤しているならば、
それは私たちの内部自体が「分離」しているからに他なりません。
この内部の分裂を理解し受け止めるのは「慈悲」の力です。
この「慈悲」の力はもちろん外部の分離をも癒していきます。
別れも喪失も対立も葛藤も、それ自体を理解して受け止める行為自体が、
いとしくせつないものだと、慈悲心は教えてくれます。
それは嘆き悲しむことからは、決して生まれはしない。
別れの悲しみも喪失感も、それを理解するならば、
その奥底に愛と呼べるような何かがある。
ひとつながりである、何かがある。
この理解が出来るならば、それは人として生きてきて
良かったと思える瞬間ではないでしょうか。