体験そのものは「今、ありのまま」にあります。
そして「今、ありのままのここ」のなかには、すべてがあります。
永遠も無限も、「ここ」にある。
「ここ」に完全に埋没して私たちが自分を失っているときに、
永遠性と無限性はその姿を垣間見せてくれる。
「いま、ここ」を通してしか、私たちの成長は、ない。
私たちの探求心も成長も、この永遠性と無限性に、牽引されているようなものだから。
でも、それだけでは足りない。
「いま、ここ」の自らの在り方を静かにみつめること。観察すること。
それが、
ひとつの節目となり、ステッピングストーンの役割を果たしながら、
私たちは無限に導かれていく。
観察を通しての認識が「定点」となって、その定点から、遙か奥を
みつめることが、また新たなる無限の扉を開いていく。
今日、akuaの部屋のらせんエネルギーを観察した。
瞑想状態のときに、それは、ふいに顕れてきた。
ちょっと、おそろしい程の回転スピードと、螺旋円の大きさだった。
多種多様な色彩と変幻自在さ。
このエネルギーのなかに多次元性がある。
そしてそのエネルギーを見つめる目がある。
らせんのエネルギーを見つめることが、ひとつの観測の定点を提供してくれる。
無限を認識するための「定点」。
この定点がないと、私たちは無限を感知することが出来ない。
その定点はいつも「いま、ここ」にある。
「いま、ここ」を「ありのまま」に認識することにある。
ラリマー 私が好きな石
今日akuaエネルギー転換のきっかけを与えてくれたのがラリマーでした。