この映画は、電力会社や原子力ムラが解体・崩壊するまでは、
おそらく一般公開やテレビメディアでそれが広く国民に知らされることはない。
きっと311以降も、東電の代わりに他の電力会社や電事連などが、
一層多額の宣伝費でマスコミを懐柔しているだろうから。
胸になにかがつかえてしまっている重苦しい感じが、まだ抜けない。
観ている間も、やるせなさから、涙が出そうにもなる。
「結託」
ほんらいの日本の良い部分である「和」の精神が、別のあくどい形で発揮され、
「結託」し「いじめ」的になってしまうのは、なぜだろう。
漁業や自然農法によって細々と自給自足的に生計をやりくりしている、人間の日常。
それと対比される形で、
黒船のような大型の力や戦略性にたけたものとして描かれる、官僚や中国電力の姿。
大人のいじめは、金を道具として思う存分つかうだけに、
そしてその金の力が大量の人と気持ちを動員するがゆえに、なんともたちが悪い。
この映画のように、いじめられるものが勝利したと知っていたとしても、
救われないのだ。
それが「いじめ」なのかもしれない。
個人・中小よりも大企業を良しとする(信用する)心。
頭脳的に優れたものを良しとする心。
勝ち馬にのっているセレブを良しとする心。
ひとりで悪戦苦闘よりも機械化による効率化スマートさを良しとする心。
闘いよりも安定を良しとする心。
祝島の人たちが闘っていた敵は原発建設だけでなく、
こうした、誰のなかにも必ずある「気持ち」や「人の持つ弱さ」に対してだ。
映画を見ると、一方で自分は被害者でもあり、また
別の一方では、加害者でもあると痛感し、やるせなくなるだろう。
多くの人に見て欲しい。