人間、自分の良心に恥じることを言ったり行ったりすると、
心のなかに何かしらのわだかまりが生まれるものだと思う。
そのわだかまりがあるのかどうかが、自分にとっての正し
いことかどうかの基準なのではないかと、常々思っている。
わだかまりは、心のなかに生まれる傷のようなもの。
世間の基準では悪いとされていることでも、それを言った
り行ったりすることを通して、特に心に傷がうまれないので
あれば、そして自分のなかに、これでいいのだと思えるも
のがあるならば、それはきっと自分にとっての正しいことだ。
自分にとっての正しさを、万人が実行したとして、もし問題
があるならば、きっとそれは正しくない。
さて、自分に求められている役割や立場から、自分の良心
とは異なることを言い続けてみたとしよう。
その人のなかでは、生まれ続ける「わだかまり」が蓄積されて
いく。
心のバランスを崩し始めることだろう。
それはとてもつらいことに違いない。
常に自分を裏切り続けるのだから。
裁き続けるのだから。
だから自己防衛として、「鈍感」でいることを選択する。
鈍感になれない人は、あるいはなかなか「いい人」を辞められ
ない人は、バランスを崩した心が、次第に壊れはじめていく。
1 鈍感人として生きるか、
2 「いい人」の維持で心を壊していくか、
3 立場や役割を超えて生きていくか。
このどれかになるのでしょう。
大切なことは、たとえ今は無理であっても 3 であろうとする
ことを諦めないでいることだと思うのです。
立場や役割を優先せざるを得ないでいる自分の恐怖を、知って
おく。
その恐怖を優先させているから立場や役割を優先させていて、
だから、こうした発言や行動を良くないしイヤなことだと分かり
ながらも今はしている。
これが自分自身の正確な理解であり、「ありのまま」の姿なのだと
思います。
すると、どうなると思いますか?
あなたの顕在意識は、上記 1 にはなっていないので、鈍感さ
で自分を分からなくしている訳ではない。
だからこそ、その「ありのまま」の正確な理解が、人生のなかで、
あなたの魂やハートの介在を招いていくことにつながるのです。
あきらめていなければ、いつの日か必ずに。
オーラのシステムからして、こうなっていくのです。(詳細は割愛)
でも、問題があります。
ひとつは、ハートや魂が介在してきたことに、あなたが自分で気
付いて行動をとることが出来るか否か。
それに気付かないことが重なっていき、いつしか上記の 2 に
なってしまうこと。
では、気付くにはどうしたら?
これまた、逆説的ではありますが、
いつも常日頃から「ありのまま」の自分を正確に把握しよう
とすることなのです。
飛び立とうぜ。 春だし。
ポイントはロケットのように垂直に飛び立つこと。
でないと、次元の壁は越えられない。
クリックありがとうございます。いつもの上位カテゴリーです。
にほんブログ村