自分を観るとき、大切なことは
「答」を外にも内にも求めないこと
だと思います。
自然と接してそれらを観るとき、私たちはそこに答は求めません。
ですが、自分を観るときは、求めがちになります。
答を求めはじめた時点で、私たちはもう、自分をみなくなっています。
答は、それがたとえ内側にあるものだとしても、
私たちが「答」とそれを定義した時点で、私たちの「外部」となるからです。
私たちは思いのほか、すべてのものを「自分の外部化」としたいのかもしれませんね。
たぶん。私たちが変わりたくないからでしょう。