オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

創造活動

   意思や意図 = 言葉や行動 = 創造活動

絵を描いたり作曲したり演奏したり、あるいは何かの
製作物を創り上げたりといったことのみが創造活動
と思い、創造活動の定義を狭くしてしまっている人が
多いように思います。

そのことで、創造活動に対しての敷居を高くしてしま
い、自分は創造的な人間ではないと思い込んでしまう。
結果、創造的であろうとする意欲もそがれていく。

原初、言葉を発するとは、創造行為そのものであった。
だからその言葉自体にエネルギーが宿り魂が宿り、
「言霊」という言葉が生まれたのだろう。

「光あれ」と言えば、そこに光が宿ったはずだ。
そしてそれは今も変わらない。

だが、言葉を大切に扱わないならば、言霊とはなるまい。
同じように自らの一挙手一投足を、大切に扱わなければ、
それは創造行為ではあっても創造行為の価値は持つまい。

私たちの先祖は言葉を注意深く大切に扱っていたはずだ。
なにしろ「くたばれ」と言ったなら、くたばってしまうエネルギー
を相手に強く付与するのだから。
ほんとにくたばってしまうかもしれないのだから。

言葉を大切に扱うことも、一挙手一投足を大切に扱うことも、
自らへの注意深さと、その行為や発言に至る意図の確認が
あってのことだろう。

逆に言えば、意思や意図の確認のある行為や自らへの注
意深さのある行為は、すべて創造行為と言えるのではないか。
そう創造活動を再定義してみよう。

まれに、自らの意思や意図の喪失からはじまる創造活動
がある。
そのとき、おそらく魂の意思や意図にとってかわられてい
るのだろう。

モーツアルトセザンヌやモネ、東山魁夷や ジョルジョドン など
古今東西の芸術の天才家たちは、そのモードへの
スイッチが入りやすかった人たちなのだと思う。
そして次元を超えていた。
その次元を超えたものをこちらに持ち帰ってくれて、私たち
にその世界を垣間見させてくれる。
私たちが彼らを鑑賞しているとき、私たちも感動をともなって
次元を超えていける。

つまりは鑑賞すらも、私たちが自分を失うところに導いてく
れるのですから、立派な創造行為のひとつです。

そこに注意深さと自己省察あるいは感動があるならば、
生きることのほとんどすべてが創造活動なのだと思います。

そして、そのように生きることが世間一般で言われている
いわゆる「創造性」をも開花させていくと思います。

それは、意識=光であり、自らの意識が向かう自分自身に
光が注がれることだからです。


Art Swing MAMIさんが福島の自然に捧げるために描いた『祈り』

      生まれてきたこと、

      それは尊きこと。

    優しさ と 優しさ が 繋がる

      春よ、来い、来い♪


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