ブロックは「鎧」(よろい)のようなもの。
着用しているときは、確かに安全を感じるかもしれないが、
それは極めて重くあなたを不自由にさせるもの。
例えばある人が以下のようなブロック(鎧)を持っていたとしま
しょう。
「本当に自分が思っていることを言うと人は傷つく。そして結局
最後には、人から責められて自分が傷ついてしまう。
だから本当のことではなく、その人の喜ぶことを言うようにする」
この人にとっての「鎧」(ブロック)はこの考え方そのものです。
自分の安全のために、この鎧を身につけています。
下手なことを言って人から非難されないように。
ですが、この鎧を着ている以上は、自由に言いたいことは言えま
せん。
条件反射的に、相手の歓ぶことを探り、それを言葉にしている。
言いたいことをいっていないので、次第にどれが自分の本心なの
かも分からなくなっていきます。
そして人と会うときは、自分が相手を傷つけないようにと、意識
はいつも重々しく緊張していなければならない。
それだけで、疲れ果ててしまいます。
あなたはこのブロックを持っていそうですか?
冷静に見つめ考えてみるならば、そもそも、この「鎧」があるこ
とは、本当にあなたを安全しているのかどうかは分かりません。
実際には、安全でいたいという思いとは逆に、たくさんの困難が
襲ってくることでしょう。
不自然なものを身につけているからです。
「ブロック」と誤認と「鎧」とは、同じものです。
いつも、その瞬間々々の光に向かって、自由に伸びていけるよう
に、 植物たちは何も身にまとわず柔軟な身体をしています。
その瞬間々々の「内なる光」にしたがっていけるように、私たち
自身も、いつも身軽で柔軟にいることが大切なのでしょう。
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