オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

比較マインドと自己超克

ネットが主流になって以降、私たちは消費活動において、
あらゆるものの比較・評価の情報を一瞬にして手に入れ
られるようになった。

生きていく上で、購買活動は不可欠なため、生活の多く
の時間を購買活動とその購買したものの評価で過ごして
いる。
加えて、すべての商品のライフサイクルは、資本主義社
会の都合上、短命化している。

もはや普通の人には、ウインドウズ95は使えない。mova
レーザーディスクも使えない。
たとえ使えたにしても、従来の一眼レフカメラもミニディ
スク(MD)も極めて使いづらい。
PCやネットと連動しない音楽メディアも。
つい10年前には、それらがメジャーだったのに。


消費活動に追われていくと、損得マインドと比較マインド
が、考え方のひとつの癖として、意識のなかで確固たる場
を占めるようになる。


そして、他者や集団との損得・比較で自分をとらえること
に、疑問を持たなくなる。


セッション中、
「ほかの人は、カズさんが日頃、言うようなことを気にし
 たり大切にしたりはしていませんよね」
と、時折言われる。


その通りです。
だが、そもそもセッションに来ているのは、主観的につら
い状況か疑問があるから、おいでになっている訳で、客観
的にみてつらい状況や疑問があって来ている訳ではない。

客観で出発したものは、どちらに行き着いても問題はないが、
主観で出発したものは、最後まで主観で行かなくては自己
矛盾を生じるのです。

上記のような、他者との比較から発せられる質問については、
このように説明する。


恋愛などの、誰かを好きだ嫌いだということは、損得マインド
や比較マインドから、随分と自由な分野だということは、読
者の皆さんも納得出来ることでしょう。

「ほかの人は、あの人が好きだというのですが、私は嫌いです」
ということに、普通の人は疑問を持たない。

しかし、集団全員が、同じ人を同じように好きになったり嫌い
になったりしていたら、怖いでしょう。

どんな社会でも常にアイドルは一人しかいない。。。。
怖いでしょう。

ある商品の評価や使い勝手などで、集団の考えが似たり寄った
りになっても、たいして怖くはないでしょう。


恋愛や好悪感情や生きづらさ寂しさなどの主観的なものは、あ
くまでも主観的に考えを見ていかないと、ならないのです。
他者は一切、参考にはなりません。
寂しいのは、ほかならない 自分 なのだから。


比較マインドに汚染されて、集団的な統一された思考というも
のが、どこかに存在すると思ってしまっているのかもしれませ
んね。
それは組織宗教の世界つまり集団マインドコントロールのみです。



損得マインドや比較マインドでとらえてはならない、教育の分
野にまで、このマインドが浸透して久しい。
私が育ったときから、完全にこのマインドで教育界は汚染され
ていました。

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客観性に逃げずに、主観性を、その始まりから最後まで一貫して
通していくというのは、自己の超克のプロセスでもあります。

だから、そこには、当然「つらさ」もあります。
自分のなかに、固有のブロックを発見せざるを得ないから。

でも、楽しさもあります。
自分の知らなかった自分の側面を発見出来るから。

芸術家的仕事に多くの人が惹かれ、同時に芸術家当人たちは苦
悩しているゆえんでもあるのでしょう。


自己を超克していくことが、芸術のようにそのプロセスのなか
に組み込まれているか否か。

政治プロセスには、ない。政治家は知らない。
ビジネスには、ない。個々のビジネスマンは知らない。
医療には、ない。個々の医師は知らない。

だが、教育には、あって欲しい。
生徒がそれぞれ自己を知りそれを超克していくことが、教育プロ
セスのなかにあって欲しい。
少なくとも、今は専門課程なりゼミに行くまでは、ないだろう。
専門課程にまで行けば、そこでは論文などの言葉と文脈を通して
自己の発想の癖などをたたき直されるだろうから。

どんなスポーツでも突き詰めればそれは個人スポーツなので、一流
になるとこのプロセスが不可欠なのでしょう。

一流のスポーツマンや棋士の言葉は含蓄に富んでいる。


生きていく上で、より良い社会を構築するうえで、このプロセスを
知っているものと知らないものの差は、天地ほどの差だと思うので
す。

だからそれを現行の「教育プロセス」に組み込んで欲しい。

大人については既にakuaで細々とですが行っているという自負はあ
ります。

だが、中高大学生の教育プロセスに組み込みたい。

しかし、教育システム就職システム資本主義システムという相手が
大き過ぎて、どうしたらいいのか、まだ分かりません。


私に分かっていることは、損得・比較マインドには、

 「青年期にそれをどんなに頑張ったとしても、一切の自己超克の
  プロセスはない。それゆえに個人にも社会にも悪循環を生む」

というところまでです。
学べるのは努力の大切さだが、それもほとんどは、利己的努力だ。




イルカたちには、損得マインドも比較マインドもないのは明らかですね。

Art Swing MAMIさんの絵


(補足)
歴史を見てもそうですが、すべての巨大なシステムの変革は、ある
日突然崩壊して一から組み直すか、個人レベルでの改革活動の積み
重ねがある日、閾値を超えて、バッと拡がるかなのでしょうね。

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