理屈は分からないが、主観的には自分に効果があると感じる。
客観性にはこだわらずに、自分にとって効果を感じられるか感じられないか。
それが医学の分野であれ、癒しや教育や対人関係の分野であれ何であれ、主観に軸足を置いてみる。
「科学や学問には解明不可能なことがあるのだ。そのような真理があるのだ」という視点に立ってみる。
測定不可能な領域について、それが測定不可能だからこそ何らかの価値を持つはずだと考えてみる。
こうした領域の価値は、現在芸術に委ねられている。
だから芸術の範疇をより拡大してみて、生活一般に芸術的な視点を持ち込もうとする。
そのとき、主観が回復され、天界とのつながり、目に見えないものとのつながりが回復されていく。
ただし、学問や科学の手続きを踏んでいない分「まやかし」や「適当なもの」もっといえば「にせもの」が多くなってしまう。
求められるのは、それを判断しうる受け手側の鋭敏さでもある。
その意味で、科学の埒外のものの善し悪しは、分かる人には分かり、分からない人にはずっと分からないのかもしれない。
宇宙の他の惑星では、科学や学問はどのようになっているのだろうか。
一万年も続いた縄文時代の常識はどのようなものであっただろうか。
生まれたばかりの赤子に知性があったら、何を語るのだろう。