オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

スピリチュアリズムの意義と功罪

スピリチュアリズムの理念の根底に、「主観性の回復」があるように感じている。

既存宗教のほとんどは個人の「主観」に力を持たせていない。「神」的な絶対者か、教祖が力を持つ。
スピリチュアリズムは、優れたチャネラーの存在だけでなく、こうした権威主義的なものへの抵抗が背景にあり広まった考え方なのだろう。

既存の科学は「客観性、検証可能性」が大前提となっている。
そのため、個人が付与する「意味」や、個人が感じることや感性に関わる「主観的なこと」については、科学の対象外としてきた。
科学や学問は、実証されたものが権威となっている。たとえ、数年後に覆される理論であっても、それまでは権威として崇められる。

スピリチュアリズムでは、「あなたの主観のなかに、神や宇宙が存在している」という前提がある。
だからこそ、その主観性を回復していくことは、重要となる。


では、どのように「主観性を回復」していくのか。

主観性の回復なので、本来的には、その「はじまり」から「終わり」まで、出来るだけ

 「本人の主観(+検証可能な客観性)」

だけで展開されることが望ましい。


しかし、スピリチュアリズムでは多くの場合、ここでチャネラーやヒーラーという、本人以外の別の主観者が登場・介在してしまう。
先の理由により、実証可能性や検証可能性については、皆とやかく言わない。

しかし、チャネラーがある言説を述べた場合、あるいはヒーラーが何らかのヒーリングを施した場合、それを主観的に「正しいと感じられない」のは自らの感性が鈍っているからに違いない、とクライアントは考えがちになる。

たとえそれが高次元からのメッセージやエネルギーであろうが低次元からのものであろうが、「チャネラー」や「ヒーラー」から「そう感じませんか?」と聞かれると、「感じられない自分」に罪悪感を持ちがちである。

すでに、当人(この場合はクライアント側)が自らの主観性に自信を持っているならば罪悪感を感じずに、自らの思いを正直に言えば済むのだが、いかんせん、現代の教育は客観性重視のため、そのような自信を持っている人は少数派となる。

チャネリングをしたりヒーリングをしたりということは、超常能力と思われているため、そもそも当初よりチャネラーやヒーラー側は「権威をまとって」しまっている。

権威あるところには、マインドコントロールの余地が生まれ、マインドコントロールあるところに安易なビジネスが生まれる。


しかも、クライアント側は、出来ることなら労せずして、宇宙や神が内包されているという、自らの「主観を回復」したいのだ。

苦労や努力はあらゆる面で出来るだけしたくない、というのがスピリチュアル界に蔓延している考え方だ。

スピリチュアリズムの「自分自身が自分の直面する現実を創りだしている」という教えが、努力の価値を下げてしまっているのも否めないだろう。

努力しているときの自分の意識状態は自分にとって理想的ではないから、理想的な現実を創り出すことはないだろう、と。

こうした独特の考え方の背景から、苦労や努力の成功体験に乏しい人ほど、こうしたマインドコントロールに陥りがちになってしまう。


このような人々は、チャネラー側に「あなたは素晴らしい」と言ってもらうことを求めるようになる。
そのような素晴らしい自分(の主観)ならば、取り戻す価値があるし、自信を持っていい筈だから。
きっと素晴らしい現実を創り出す筈だから。

だがしかし、そのチャネラーのもとを離れると、そのような自信のない人ほど、「自分はダメだ。無価値だ」と思ってしまう出来事が、人生のなかで連続して生じる。

そのようなダメな自分は、「神」である訳がないと思ってしまいがちになる。
でもそうだとすると、スピリチュアリズムの前提が崩れ去ってしまい、幸せになる道も閉ざされてしまう。
それは大変に困ることなので、またすぐにチャネラーに自信をつけてもらいに行く。

このサイクルを何度か繰り返せば、そのチャネラーへの禁断症状が出始めるだろう。
そしてチャネラーからしてみれば、マインドコントロールは完成し、安易なビジネスも成立する。


これは、「主観性の回復」というよりも、単純に「あなたの自信の回復」をしているだけだ。
そのことに早く気づかなくてはならない。

自信の回復のためにスピリチュアルを活用することは百害あって一利なし、と私は確信している。
権威的な人やすごい人物を見つけるためにスピリチュアルを活用することも、同様に害しかない。

自らの主観への信頼は、一向に回復されないからだ。

だが、残念ながら今でもスピリチュアル業界のそこかしこで起きていることだ。


このアプローチの何がいけないのか。

「自らの主観性の回復のために、権威をまとった他者の主観に頼る」ところである。


つまり、主観性の回復が、
 「チャネラーの主観(+本人の主観)」
で展開されることに問題の本質がある。


本来は先に述べたとおり、
 「本人の主観(+検証可能な客観性)」
で展開されることが理想である。


通常、チャネラーやヒーラーの言うことは「検証可能な客観性」ではない。
ただ、あなたの主観を刺激しているだけだ。
特に、あなたにとって痛いところを刺激している。
そのことが主観性の回復につながっていくからだ。

(+検証可能な客観性)とかっこ付きで記したのは、実は客観性すらも必要ないからだ。

最初から最後まで「自分自身の主観」を掘り起こしていくことだ。


そのことは、スピリチュアリズムでは「自分自身を知る」という言葉で表現されている。
何らかの御利益や効果を求めて「自分自身を知る」のではない。


現代ではとかくおろそかにされがちな「主観性の回復」のために、自分自身を知ることが肝要なのだ。

そもそも、幸せとはきわめて主観的なことなのだから。

つまり、幸せになるためにはどのみち、そこから始めるしかないのだから。


ArtSwing MAMIさんの絵