今、時代は明らかに全体主義に傾いている。
全体主義は、個人よりも社会や国家などの全体を重視しその結果、個人主義や主観性を排除していく方向に向かう。
結果、客観性重視となり、「心も脳が作り出している」としてそれが教科書に書かれている時代が到来している。
脳の客観的分析を進めていけばそのうち、心の働きはすべて解明される。
だから個人や主観や心は神秘的なものや価値あるものではない。そうしたいのだろう。
自分の感覚やこころと切り離された人達こそが全体主義的思想を持っているように、私は周りを観ていて感じる。
全体主義は暴力を肯定出来る。客観的、論理的にその暴力(戦争や弾圧)が必要なのだと辻褄を整えられるところも、全体主義に傾倒する人々にとっては、自分の暴力衝動の発露に都合が良い。
なにしろ自分の感覚やこころと切り離されているがゆえ、幸せや安らぎ癒しは感じられないが、怒りなどの思考的感情は感じられるから。
自らのなかにある暴力衝動のはけ口として、全体主義を活用している人は、ネットの世界でも言語暴力を振るうのだと感じる。
暴力と全体主義、客観主義のこの3つはきわめて相性が良いのだ。
なぜこのような人々が、自らの「こころ」と切り離されてしまったのか。
理由はいろいろあるだろうが、私は、このような人たちこそが、社会や親、家族、学校、相対評価などから追い詰められたからなのだと、思っている。
追い詰められた結果、自らの「こころ」を作動しないように自分でしてしまった。自己防衛のために。
私も追い詰められたときは「こころ」が動かなくなってしまう。だから、心当たりはある。
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お二人の著者はこれまですべて読んでいる(と思う)。
それぞれの新作が表題。
読んで感じたのは、内的独白が多くを占めていること。
高村薫の新作を読見終わると、熱が出る。ここ15年ほどはいつも38°を超える。
本に込められている著者のエネルギー量が膨大なのだと思う。
最近の彼女の著作はすべてそうだが、武蔵野を巡る人物描写、風景描写が第三者的にではなく人物それぞれの内的な独白として書かれている。
それはとりとめのないものであったり、Jumpがあったり、つじつまの合わないものであったり、論旨と関係があるのかないのか分からなかったりするが、人の独白というものが、そもそもそのようなものだからなのだろう。
広大な中国の大地と中国人の美しさそしてStoryが楽しい『李歐』(面白い本です)の頃とは違い、今作は物語もほとんど変化していかない。
『我らが少女A』は、合田刑事の存在とその関係者の独白を楽しむ小説のように感じる。
私は、もちろん楽しめたのでこうして紹介している。
しかし、あまりに精緻な内面描写と彼女特有の文体リズムや簡潔高潔な言葉構造物であるゆえ、それなりに体力を必要とする小説だと思う。
その後しばらくして読んだのが、奥田英朗の『罪の轍』。
こちらは文句なしに読みやすい。
どうしたらここまで読者に一切のストレスを感じさせずに読ませることができるのだろうと、そう思いながら読みすすめていた。
彼の小説はすべて読みやすいが、そのなかでも群を抜いているのではないか。
今でもAmazonのレビューではほぼすべての人が満点評価。さもありなん。発売日に購入したのだが読後すぐの評価は全員満点だった。
彼の別作『オリンピックの身代金』と同じ1963年、東京オリンピック前年を舞台としていて、当時の昭和真っ盛りな時代風景も、みたこともないくせに、なぜか心にしみる。
この本も今までの奥田英朗の作風とは異なり、Storyというよりも内的独白中心で進む。
表題の二冊は、読み終わって落ち着くべきところに落ち着いて、あるいはとても意外なところに着地して楽しかったというより、読書している最中に多大な悦楽を感じられるたぐいの本。
独白言語の持つ力なのだろう。
内的独白や登場人物が観る風景描写は主観。
Storyや物語は客観。
この偉大な作家二人の新作が内的独白中心に進んでいることは、個人や主観の復権を企図しているからではと思ってしまう。
人生の土台を全体主義に置くと、思考的になり客観重視になり、幸せや癒しを感じられないので、暴力的衝動を内に抱えることになる。
それはいつか、社会に内在されている暴力装置である上からの弾圧や戦争を作動させていくことになる。
人生の土台を個人主義やこころに置くと、感情的になり主観重視になり、時にヒステリックになるかもしれないが、幸せややすらぎを感じる時間をときには持つことが出来る。
自身の内的平和のためにも、外側の平和や協調を求めるようになるだろう。
小説をはじめ芸術活動は、すべて本来、主観的なものだ。
主観を排除し、客観的に描かれた絵など誰もみたくもないだろう。
登場人物の主観性にあくまで立ち続け、見事に今という時代と昭和38年という時代や人物風景そして暴力の作動システムを描いた作家二人の新作を、お薦めしたい。