多くの先進国では、資本主義の存続が難しくなっていることから、民主的な国民国家を手放し、帝国主義に回帰しはじめている。
大量の貨幣流通による金融緩和策、別名アベノミクスやら新自由主義といってもいいが、そうして流通させようとした貨幣は結局のところどこにも流通はせずに、どこかで渋滞している。
お金持ちのところで。貯蓄や株券・資産となって。
貨幣流通速度は低下する一方だ。
いくら紙幣を刷ったところで、庶民には巡ってこない。だからインフレにもならない。
すべてに均等に行き渡るならば、貨幣を刷った分、インフレになる筈なのに。
新自由主義国の税政策自体が、金持ち優遇なのだから、当然の帰結といえば帰結。
ちなみに増税予定の消費税も、福祉や年金のために使われている訳ではない。お金持ち優遇策のために使われている。
従来有効であった経済政策に一向に効果がないのは、先進国で格差が行き過ぎ、富めるものが政治的権力を握りすぎているから。
「万国の労働者は団結せずに、万国の資本が団結した」という笑うに笑えない状況となった。
マルクスさん、どう思う?
現在の政治家達は確信犯的に、こうなることを分かっていて、むしろそれを狙って行っているように思える。
自らや仲間内の懐を肥やすため。
少し分析すれば、上記のようになっていることは、以前、分野は違えどピケティが行っていたように実証可能な筈だから。
そして有効な手をまだ打てる筈だから。
真摯に全体にとっての有効な手を考え打ち続けていくことで、限界を迎えた資本主義にとってかわる、新しい人々の暮らしを支える経済システムが見つかってくる筈だ。
行政は予算の分配に始まるのだから、その予算を格差是正のために使わない限り、資本主義の矛盾が深刻化するばかりとなる。
資本主義の延命措置のための医療費(アベノミクス)を、金持ちや既得権益者が懐に入れるという状況が続く。
予算は金持ちや大企業のために使われる。
弱者は窮地に追い込まれている。
この世界のもっとも弱者は、親にお金がない「子ども達」だろう。
その子たちが、これから先、笑顔で生きていくことが出来るかどうか。
彼ら彼女らが大人になっていく過程で、十分に自己を尊重し創造性を発揮していけるかどうか。
これは分配を司る政治の役割。
個人ではどうしたって限界がある。
以前、売れていた本『金持ち父さん貧乏父さん』のように、結局不労所得の分配に預かろうとしそれが出来るものが富んでいく時代が、当時以上に強化されている。
20年以上前に、あの本を読んだとき、心情的に断固反対であったのは、あの本に限らずいわゆるお金持ちになろうという本に書かれていることを実践する結果、勤労の価値が下がり、結果、創造性発揮の価値が下がるからだ。
それはつまり、人間存在の価値が下がることだ。
上がるのは貨幣の価値だ。株券や資産の価値だ。
結局、人が損得や欲得で動く。それを結果論的にとはいえ推奨しているのが投資行為だ。
そこに我慢がならなかった。
人は主観で動くべきだ。
「好き」とか「こうしたい」とか「こうせざるを得ない」とか。
主観で動くときに「全体」が顔を出す。そして人は「全体」のために動こうと出来る。
客観のなかに「全体性」はなく、主観のなかにしか「全体性」は内包されていないのだから。
私には二人の子どもがいる。
一人は学校や組織への貢献が心から好きで、皆と一緒に何かをすることに歓びを感じ、彼女が関わると、なぜか小さな日本一が一度や二度ではない。
ひとりは、その真逆で中学高校と学校を辞めることばかりを考え、組織に反抗し、私も何度となく学校に呼び出される。授業中ノートをとったり提出物を出したことは一度たりともない。ただ、権威的でない人に対しては、とても優しい。
同一人物が育ててのこの違いは、親のせいではない。
生まれ持った魂の性質の違いだろう。私のせいではない。。 くどい、か。
二人ともの共通項は、自らの感じ方や主観を大切にしていること。それがあるならば、あとは、大人になる過程で、自力で考える力を身につければ良い。
ちなみに、私も後者だったので、親も少しは苦労したと思うが、今の私ほどには苦労していない。
私は学生時代に、学校を辞めようとは思わなかったし、世間や社会に迎合することを前提とした上での、その範囲内での反抗や抵抗だったから。
だが、当時の学校への抵抗を通して、自らの主観を大切に生きようという思いを培うことが出来たと思っている。
私はお金のない子ども達が、自らの感覚を大切に、自らの感覚に基づいて意見出来るような社会であって欲しい。
そして30歳前後の大人になった(オーラシステムが完成した)ときに、自らを尊重したうえで創造性を発揮していって欲しい。
そのように、ひとり一人の生命が、尊重される社会であって欲しい。
それが社会の豊かさにつながり、人々の幸せにつながる。
つまるところ、どれだけ人々が創造性を発揮出来るかが、豊かさなのだと思う。豊かさも幸せも、何かをつかみとることで得られるものではない。主観的に、それを感じられるかどうかにある。
そうした社会を構築せずして、あるいはそうした社会の構築に向けての発信をせずして、なにがスピリチュアルだとも思う。
スピリチュアルの”誇れる”特質は、
「すべてがひとつながり」「全体性」
であり、
「Love is First」 「Heart is First」
であり、だからこその
「平和志向」 であり 「すべてに平等の価値を置く」「自立志向」
となっている。
資本主義の行き詰まりと政治の無策が、確かにこの時代の閉塞感を生んでいる。
結果、個人のエゴが増大してしまう人も多くなる。
だが、個人が「金持ち」になることは「手放さない」でいることは、決してスピリチュアルではないし、進化の階梯にすらない。
*
7月21日参議院選挙。
投票率が上がると自民党・公明党は負ける。
組織票で成立しているから。
彼らは今後も、頑ななまでにネット投票には反対し続けるだろう。公職選挙法の改正にも。
そして既得権益を大切に守りながら、格差を助長していくだろう。
*池田大作はどう考えているのだ。そも生きているのか。
今度の選挙で、今の日本での、ひとり一人の「全体性」がためされているのだと、考えている。
なにはともあれ、
選挙に行こう!