世界中が分断されているように感じる。
富裕層と貧困層。
東京集中と地方。
原発推進派と反対派。
経営層と労働者層。
大企業とその他中小企業。
知性重視派と反知性派。
友好派と敵対派
日本の政治を見ても、安倍政権へのとらえ方で二分されている。
人は、自分の日頃つきあいのある人たちの間で信頼出来る人や価値ある人と認められたいがために、行動しているのだろう。
そのため、分断は加速していく。
自分の価値観と共鳴してくれる人々が身の廻りに必要だから。
SNSの拡がりで、日頃つきあいのある人たちが、「膨張」し加速していく。
分断の溝は深まるばかりだ。
今日行った神社に、「憲法改正の実現を」という旗が、あろうことか本殿の真ん前の左右に掲げられていた。
憲法とは全く無関係のイザナギノミコトも、さぞ迷惑だろう。
エネルギー的にとても良かっただけに、宮司の邪念が残念だ。
主義主張の加速は、分断を一層、深刻にする。
憲法改正の議論が本格的に始まると、この分断の溝は一層深まるのだろう。
世界の資本は団結したが、プロレタリアートは団結しないままだ。
そんな余裕がない。
むしろ団結した資本がSNSを活用して、プロレタリアートを先導している。
情報化社会になると嘘はつけなくなる。
またついてもすぐに露見して謝罪に追い込まれる社会になると思っていた。
そして、人々は、知識や知恵を大切に育む社会になる。
そう思っていた。
まさか、「嘘をついてすぐに露見しても白を切りつづけることがまかり通る」社会になるとは思っていなかった。
これが続くと、人と人との間の信頼関係が消滅していく。思いやりもなくなる。
安心感が消滅していく。
安心感によってもたらされるところの、ハートや天界とのつながりも、消滅していく。
自然とのつながりも感じられなくなるだろう。
天界の支援もなく、人や自然からの支援も期待出来ず、ひとりで頑張らなくてはならなくなる。
すべてがゼロサムゲーム的な発想になる。
結果、大多数の敗者と少数の勝者の社会が実現される。
いつも自分自身のハートや天界とのつながりを意識していれば、そこから人への信頼感も生まれ、信頼感を持てる人との出会いもやってきて、それをはぐくめるようになる。
自然との交流も生まれ、つながりが感じられるようになる。
悪循環を良循環にするのは、個人レベルでは意外に簡単なことなのだと思う。