スピリチュアリズムの特徴として、前回は「主観性の回復」にこそ、スピリチュアリズムの本質があると思うと書きました。
今回は、地球を「神聖な生命体としてとらえている」部分についてとらえているというもう一つの特徴について触れたい。
地球意識も我々と同じ、進化の階梯を歩んでいる存在としてとらえている。
スピリチュアルの世界で「聖地」「ボルテックス」という言葉が流布しているのも、この考え方が背景にあってこそだと思う。
地球を意識ある生命体としてとらえることは、人としてごく自然なことだろう。
古代やネイティブの人々は、山、川、滝、湾、岩など地球の特定の場所を「聖地」とし畏怖し信仰の対象としてきた。
日本にも古代より多くのそうした信仰対象としての場がある。
一神教の文化では、こうした自然崇拝が認められにくい背景があるのだろう。
だからスピリチュアリズムにおいての自然崇拝が一神教文化において価値を持つ。
身体でいえば、鍼灸でのツボやチャクラのようなものだろうか。
そこに高次のエネルギースポットがある。
そしてエネルギーを識別出来る能力のある人が「聖地」と認定してきたのでしょう。
天と地を結びつける人間の信仰の対象となることで、その場はますますパワースポットとなっていく。
ただ地球や、山や岩などの「意識のあり方」がどのようなものかについては分かっていない。
動けない状態のなかで自由意思は、はたしてあるのか。
地球や自然の意識の変容は、どのようなプロセスやメカニズムで起きるのか。
そうした場では、我々が信仰の対象とすることで、仰としての祝詞なり音楽なり祈りの言葉、踊りが発せられる。
それは双方にエネルギー循環をもたらす。
この循環は、神聖な祈りであればあるほど、双方にとっての進化につながるだろう。
自然や地球は信仰の対象とされることで、愛される対象とされることで、一層、進化していく。
ここに対等な相互関係から生まれる相乗効果の妙がある。
一神教には対等性がないために、この相乗効果がもたらされないだろう。
対等性とは「受け身」にならないということで、このことはスピリチュアルヒーリングにおいてもセッションにおいても実は大切なことだ。
クライアントを「受け身」から「主体者」としての確立させていくには、以外に難しいが、これがないと経験上、なかなか癒しや気づきは起きない。