オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

創造性とオーラ

創造性は、オーラの層すべてを貫いて流れている。
ファウンデーションⅡのセミナーを伊豆で開催している時も、そのように見える。

すべてとは、肉体から7層(源の在り方が維持されているエネルギー層)までのすべて。
貫いているとは、すべての層のエネルギーを司っていること、と言い換えてもいい。

創造性は、すべての層のエネルギーを、どのように司っているのか、統べているのか。

スイッチ。

各層すべてのエネルギーを起動させるスイッチとして。
各層すべてのエネルギーとは、私たちの存在のすべてとイコール。

私たち自身を、その全体性を持って起動させるものが、創造性。

では、日頃、そのような全体性を持って起動させるものはないのか?

感動体験。
新鮮でハッとする体験。
自身が内的にか外的に壊されてしまうような危機的体験。

いずれにしても、「いま、ここ」に完全にいるときであり、自分がなくなっていくとき。

こうしたものは、私たち自身が全体性を持って動かされる体験であろうが、ほかには日頃の日常生活の中で、全体的に動くことはほとんどないことだろう。
オーラの層のどこかの層のそのなかのまた一部分にのみ、私たちの意識はとらわれていて、そのなかでの活動に終始している。
そうした意識の使い方ばかりをしていると、他の使い方を忘れていく。
エネルギー的にも一カ所集中となる。

感動しやすい人は、次々に感動体験をしていくが、感動しにくい人は、一向に感動出来なくなるのも、こうした道理だろう。
ボケもこうしたエネルギーの使い方が原因ではないかと、ある芸術家は言っていた。
賛同出来る。

全的にエネルギーを使うことを通して、私たちは、生きているという実感を持てるだろうし、人生の幸せ感も向上していくことだろう。

ただ、エネルギーが活性化されるゆえ、それまでエネルギー的に滞っていた部分は、表面化してくる。

だから創造的に生きようとすると、葛藤が生じる。

神性な自分の部分と、そうでない自分の部分との間で。
オーラで言えば4層から7層までの自分と、ブロック的なものを手放せない自分との間で。
この葛藤を乗り越えていくには、ハートに還らなくてはならない。
とはいえ、ハートが葛藤を解決してくれる答や方向性を提示してくれるのではない。
葛藤自体のなかにある、作為性や一人芝居に気付かせてくれるとでも言えばいいか。

この葛藤は、余計なものではない。

この葛藤を経たからこそ、それが解消されていくなかで、自らの神性さが流れを持って全体性を持って、より生き生きと輝く。

人生が輝く。


優れた芸術作品は、このことを教えてくれている。


Art Swing MAMIさんの新作



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