今田高俊先生と水野和夫先生。
最も敬愛しているお二人の本を、最近読んでいる。
今田高俊先生は以下のブログで以前に紹介。現在、氏の別の本をいくつか読んでいる。
並行して、経済学者 水野和夫氏(以下ブログで言及)の最新作『資本主義と民主主義の終焉』もいつの間にか発売されていたので、早速買い求めて読んだ。水野先生の発言部分だけ最初に(笑)
水野先生の本はすべて読んでいるので、Amazonが発売と同時に推薦してくれてもよさそうなものだが、それがなくて、今回はそろそろ新しい本を出版されていないかと思っての、検索で知った次第。
水野先生の主張は10年ほど前から一貫していて、既に資本主義のフロンティアは消滅した。時間や空間上のフロンティアはIT化とグローバル化で消滅した。そしてそれは長期金利がゼロ推移していることからも明らかで、最も先に資本主義が崩壊するのは、金利ゼロに最初に到達した、この日本から始まると。
上記のブログでも触れているが、
資本主義システムとは、
「より速く、より遠くへ、より合理的(効率的)に」
を目的として収奪と蒐集をしていくシステムであり、このシステムが限界を迎えている。
これからの経済システムは上記とは逆の
「よりゆっくり、より近くへ、より寛容に(やさしく)!」
となっていくであろうと予測している。
今田高俊先生はたとえば『シナジー社会論』(絶版)で、以下のように述べている。
・シナジーとは部分の総和を超えた創発特性を生み出す相乗作用のこと
・競争社会が幸福をもたらすためには、他者を慮り、他者とともに生きることを基本とする「つながり社会」が不可欠である。
・情報化とグローバル化は社会の流動化を促進しており、人びとはそれぞれの立場に応じた不安を抱えるようになっている。(略)不安を解消するために他者とつながりを求める動きが顕在化する。
・シナジー社会で注目されるのは、他者の力を引き出すコミュニケーション業の発達である。例としてコンサルタントやカウンセラー、アドバイザー、プランナー等。
・このような役割を担う人びとと接点を持つことで、境界を超えた人びとのつながりが拡大し、行為の自由度が拡大する。
・シナジー社会では、行為の多意味化とその連鎖によって、より良い社会環境を作り出す営為が蓄積されていく。
・人びとはお互いの気づきにより、自分には見えていないものをみることを通じて、生活の質のフロンティアを開拓する。
・革新的な行為が革新を生むのではなく、適応的な態度が革新につながり、変化することで持続的な安定が得られる。
最後の「適応的な態度が革新につながる」という意見の参考文献として以下を読んでみて欲しい。名著です。
お二人ともに、高潔な人柄があふれ出ている学説だと感じる。
昨今、金銭や資産所有に関しての格差社会が進展しているが、人「柄」、人「格」、人としての品「性」においての格差は、それ以上に進展しているのかもしれない。
こちらの格差は輪廻を通して影響する。対して、金銭格差は今生のみである。
このような先生方の地道で嘘のない、人の「道」に沿った研究が世界を救うのだ、と断言したい。
人は自力で考えるならば、自然と、自らの「こころ持ち」を含めて考える。
このとき、考えるという行為のなかに、誰もが持つ「良心」が関与することが可能となる。
心を込めて考えていないというのは、全人間存在として考えていないということであって、だから、それでは人にとって価値ある学びは提供されないということだろう。
「学ぶ」というのは、本当は、いったい何を「学ぶ」ことなのか。
「効率的に考える」というのは違う。「素早く正しく考える」のも違う。「論破する」ために学ぶなどは論外。
「学ぶ」とは、自らの「良心」を拠り所にして「共生の道」や「平和」を志し、論理付け理論化することではないだろうか。
そして、それはどのような仕事のなかでも実現可能だろう。
お二人の本を読んでいて、資本主義の崩壊とともに、新しいフロンティアとして、人生の質向上である「しあわせ」という分野が浮上することで、人間活動の多くが「しあわせ」に寄与するものとなって欲しいと、切に願ったのでした。
最後に。
このお二人とともに現在、京大総長をされている山極寿一先生の理論も、お二人同様人柄が溢れているため、個人的に追っかけをしています。ゴリラと生活をともにされている学者です。以下のブログで触れています。
ハワイ島