オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

永遠の「いま」を示すボロブドゥール寺院

インドネシアのジャワ島中部、ジョグジャカルタにあるボロブドゥール寺院。

この寺院については、これまでにも何度かとりあげてきています。

 

ボロブドゥール寺院とは - オーラが伝えるすべて

ボロブドゥール寺院にて - オーラが伝えるすべて

自分を知る - オーラが伝えるすべて

 

寺院を歩くこと自体によって、自然と瞑想に誘われ様々な気づきが得られる。これは、曼荼羅(マンダラ)の力による。

曼荼羅は、宇宙や意識の構造の真理を、言葉ではなく視覚的に伝えるために創られたものであり、悟りを開くための瞑想時に活用されてきたもの。

究極の真理は、言葉や文字では伝えきれないという仏陀の思想を背景とし生み出され、その後、悟りに向けての修行ツールとされてきたもの。

 

ボロブドゥール寺院曼荼羅は、以下の図1のように大きく5つの回廊(基壇含む)と4つの円壇から成り立っている。

 

図2は複数の曼荼羅を組み合わせたものであり、多くの様々な状態を同時に表現可能としている。

曼荼羅の特徴は、描かれるそれぞれの要素が自律性を持つ。それゆえ入替可能である。

 

私たちは、例えばピラミッドのような立体構造を観たとき、下から順に登って頂上に辿り着くという道筋を描く。

しかし、これが曼荼羅では頂上から下に向かう流れもあり、「はじまり」と「終わり」の時間順序が入替(逆転)可能となる。曼荼羅は対称性、相似性を持つがゆえに反転、回転をしていくことも出来る。基点(はじまり)と到達点(終わり)とそこへの道筋を喪失させる力を持つ。上下逆さまの流れも生み出せる。

逆転可能となった時間は、永遠の「いま」という時のなかに「すべての要素が」「同時に」存在可能になる。

 

曼荼羅を観るものが瞑想状態に誘われていく理由は、物質界特有の時系列的な因果律とは異なる作用を、曼荼羅を観ることで感じていくからではないだろうか。我々の深いところでは、時系列的因果律法則は、作用していないのかもしれない。

 

ひとつの魂にとっての複数の状態の記述が可能であると同時に、もし、生きとし生けるものすべての魂にとってのすべての状態が、広大な曼荼羅図に記述されているとしたら。

そしてそれら全体としても、進化を指向しているとしたら。ただし時系列的にでもまた因果律的にでもなく、未来も過去も同時並行的に生起している場としての記述がされた青写真を私たちが持っているとしたら。

 

そのとき、もはや「時間」は物理学的”変化の記述”として存在しない。はじめからすべてのパターンが、同じ「いま」というエネルギー場に内在している。

どの記述パターンが展開されるかは、観るものと観られるもののフォーカスが合うかどうか次第。

ただ我々の通常意識は、時系列や因果律に支配されているため、現状のような因果律的なフォーカス形態となるだけのこと。

 

ボロブドゥール寺院曼荼羅は、こうしたことを示唆している。

 

そして、実際、われわれはそのような存在なのだ。

 

私たちは、(基壇で示されるように)様々な欲を持ちながらも、その内奥では既に「悟って」いて、「悟りに向けて学んでいる」存在でもある。こうした歩みを続ける私たち自身をも、私たちは見守りながら成長を指向している。天界からの常なる眼差しに支えられ、「無」なるもの「空」なるものによって(頂上ストゥーパ)ひとつに結びつけられている、わたしたちはそのような存在である。

 

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ボロブドゥール寺院全景

 

図1

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ボロブドゥール寺院

 

  図2

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朝焼け

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寺院の階梯